オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』

The French Dispatch of the Liberty, Kansas Evening Sun, 108min

監督:ウェス・アンダーソン 出演:ベニチオ・デル・トロフランシス・マクドーマンド

★★★★

概要

フレンチ・ディスパッチ誌 追悼号。

短評

コロナ禍第六波の真っ只中ということで不要不急の外出は控えたいところではあるものの、この監督の作品だけは見逃すわけにはいかない(いかにも換気の悪そうな地元の場末ミニシアターではなくシネコンで上映があったのは幸いだった)。箱庭的世界の緻密な画面構成の魅力はいつも通りに絶品の一言。時代設定に合わせて古いフランス映画を再現したかのようなモノクロ画面を多用したことでパステルカラーのオシャレ感は控えめとなっているものの、ところどころでカラー画面が印象的に使用されている(特に“名作”が姿を現すシーンはアスペクト比も変わるので圧巻)。ストーリーについては、「オムニバス形式」の各エピソードは何かしらの“共通するテーマ”でまとめられることが多いと思うが、“一冊の雑誌に掲載されている記事”というのがなかなか新鮮だった。「これで映画になっちゃうんだ!」と。

あらすじ

“フレンチ・ディスパッチ誌”の創業者かつ編集長アーサー・ハウイッツァー・Jr(ビル・マーレイ)が急死。彼の遺言により雑誌は廃刊となり、最終号はハウイッツァー及びディスパッチ誌そのものへの追悼号となる。その内容は、記者サゼラック(オーウェン・ウィルソン)によるアンニュイの街の紹介、記者ベレンセン(ティルダ・スウィントン)によるアート特集『確固たる名作』、記者クレメンツ(フランシス・マクドーマンド)による政治と詩の特集『宣誓書の改定』、記者ライト(ローバック・ライト)によるグルメ特集『警察署長の食事室』、そして全記者共同執筆のハウイッツァー死亡記事である。

感想

実質的には『確固たる名作』『宣誓書の改定』『警察署長の食事室』のオムニバス三篇である。編集長の「意図が分かるように書け」という指示に反して映画全体としては何かを伝えようといった意図がよく分からなかったが、個々のエピソードについては、“雑誌の記事を映像化”したものにここまで心惹かれるものなのかという驚きがあった。当然に演出の妙、あるいは映像的魅力が引っ張っている面はあるものの、“事実”を伝えるものと思われがちな記事が、ちゃんと“物語”なのである。

特に好きだったのは、収監中の画家モーゼス(ベニチオ・デル・トロ)と看守にして彼のミューズ兼モデルであるシモーヌレア・セドゥ)との関係を描いた『確固たる名作』。“フレンチ・スプラッター・アクション絵画(?)”と呼ばれることになるモーゼスの作品は現代アートであり、作品を観ただけでは何がモチーフなのかすらさっぱり分からない。そこで彼の半生と作品制作の経緯が紹介されるわけだが、これがべらぼうに面白いのである。三十郎氏に彼の“作品”の価値は分からないが、彼の“物語”の魅力は分かる。なんたる矛盾!三十郎氏は「言葉による説明必須で鑑賞者の直感に訴えかけられないようでは二級品なのではないか?」と横着し、美術館に行ってもオーディオガイドを借りなかったりするが、このように面白いエピソードがあるのなら勉強してみたいという気になった。

グランド・ブダペスト・ホテル』で作家やゼロの年齢が合わないとツッコまれていたのを逆手に取るかのような演出があった。収監時のモーゼスをトニー・レヴォロリ(『GBH』のゼロ役)が演じていて、10年後、ベニチオ・デル・トロへとほぼ文字通りの“バトンタッチ”が果たされる。これは半分マジックリアリズムである。衝撃的すぎてモーゼスが別人に入れ替わったのかと一瞬勘違いした。ちなみにシモーヌはヌードモデルを務めているのだが、『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の時ほどはふっくらしていなかったように思う。

二話目の『宣誓書の改定』は、“チェス革命”という学生デモの先頭に立つゼフィレッリティモシー・シャラメ)とデモを取材する記者ベレンセンとの関係を描いたもの。ヒョロガリのシャラメが「筋肉が……」と恥じるシーンが笑いどころである。このエピソードでは屋外のシーンで意図的なのか“背景の水平”が傾けられていて、アンダーソン作品らしくない画面構成の綻びを感じさせた。ところが、「らしくないな」とは思いつつも、一方でその“雑さ”が「古いフランス映画みたい」だと錯覚させてくれる面白さがある。特にシャラメとマクドーマンドが映っていないショットであれば、そうだと言われればそうだと思い込むことだろう。他にアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真を思わせるような構図もあった。シャラメは他の出演者に比べてアンダーソン作品らしい台詞回しの滑らかさに欠けた気がしたものの、これも若者らしさの表現という意図的なものだったのだろうか。

三話目の『警察署長の食事室』は、記者ライトがネスカフィエという“ポリス料理”のシェフを取材しようとしたら、署長(マチュー・アマルリック)の息子ジジの誘拐事件が発生するというもの。このエピソードにはちょい役でシアーシャ・ローナンが出演している。青い目を披露するためにカラー画面になった時は彼女だとはっきり認識できるものの、コントラストの強いモノクロ画面の時はいかにもフィルム・ノワールに出てきそうなファム・ファタールの雰囲気が満々で、ここまで印象が変わるものかと驚いた。

「雑誌の記事がそのまま映画になってしまう」という構成には新鮮さを感じたものの、個人的な好みとしては“一つの物語”として語られる方が“映画らしい”という気はする。これは恐らく三十郎氏がドラマシリーズよりも映画というメディアを好む理由とも重なっていて、複数の要素を積み上げていくよりも「どういう話なのか」という物語の“骨格”で理解できる方が“二時間の枠”に意義を感じられるからなのだと思う。本作は映像・モノローグの両面で非常に情報量が多いため、画面の隅々まで堪能しきれたかと言うと非常に怪しい。“骨格”はその混乱を収める手助けをしてくれるのだが、本作の場合はまだ何度か見直してみねばなるまい。まあ、何度だって観るけども。詰め込み過ぎによる観客の混乱を想定した上でアートの話を挿れたのだろうか?

アートワーク本の日本語訳は出るのかな?