オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『アイリッシュマン』2

The Irishman, 209min

監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デ・ニーロアル・パチーノジョー・ペシ

★★★★★

概要

トラック運転手とアメリカの現代史。

感想

ネトフリに登録したら本作だけは絶対に観ておかねばならぬ。これはそういう作品である。三時間半もある映画で既にストーリーを知っているとなれば、途中でスマホを触ってしまい、一度触ればそのまま手放せなくなりそうなのものだが、本作に限ってそれはなかった。ギャングの世界にどっぷり浸かりきることができた。

おおよその印象は初見の時と変わらぬ“集大成映画”なのだが、いくつか気付いたことがある。先日観た『ザ・ホワイトタイガー』では「3600万も神がいるから浮気し放題」みたいなことを言っていたように思うが、主人公フランクは(決して敬虔ではないが)カトリックである(もちろんスコセッシも)。つまり、彼が一神教徒であるが故に、ラッセルとホッファの間の板挟みが一層苦しいものとなったのではないか。やはりスコセッシ映画にはどこかしらに宗教的な要素がある。

フランクが支部長として表彰されるパーティーにおいて、ホッファからは腕時計を、ラッセルからは指輪を送られる。その後、彼はラッセルの指示によりホッファを殺害することになるのだが、死を待つ日々に至るまでその両方を身に付け続けている。きっと腕時計を捨てて指輪だけにしてしまえば楽になれた面もあるのだろうが、彼にはそれができなかった。フランクには“二人の神”がいたのである。

二人の神に仕えたフランクは、もはや誰かを守るという目的がなくなろうともFBIに口を割らず、祈りを捧げはすれども神父に告解することもなかった。これはマフィアの生涯として納得いくものなのだが、実際には原作本の著者に真相を語っている。このギャップをどう受け止めたものか。これは次回鑑賞時までの宿題である。

ロバート・デ・ニーロジョー・ペシへの思い入れが強すぎてアル・パチーノを過小評価していた気がする。彼は最年長でありながら声の張りが最もあり、ワケアリでありながも“魅力的な人物”を見事に演じきっていた。ただし、ペシ演じるラッセルの演出には新たな発見があり、これが今回の鑑賞で最もシビれた瞬間でもある。

モーテルの朝食会場でラッセルがフランクに指示を出してから空港で飛行機に乗り込むまでのシーン。フランクの表情は片時も目が離せない程に複雑なのだが、そんな彼にラッセルが“サングラス”を外すように要求する。飛行機に乗り込んだフランクが窓から自分が乗ってきた車を見ると、その中にラッセルがいることがはっきりと分かる。ラッセルは心中に迷いを抱えているであろうフランクに対し、自分の存在をはっきりと認識させるためにサングラスを外させたのである。これほどの“言外の恐怖”はない。

フランクが「扉を少し開けておいてほしい」と頼むラストシーン。これはペギーの訪問を心のどこかで期待しているというのが第一義的な意味なのだろうが、他に似ている場面があった。フランクがホッファに呼び出されてシカゴに行き、宿泊歴を残さぬために彼と同室に泊まる場面。ここではホッファが扉を少し開けたままで眠っている。フランクは自身の死について“終わり”を恐れていたが、死の間際に“始まり”と同じ行動をとっているのが象徴的に感じられる。

本作でスコセッシのギャング映画は最後になるのだろうか。ここまでやり切れば、もはや描くべきものは何も残っていないように思えるが、それ故に“次”がないのか気になるという気もする。

ホッファの好物だという“LUM'S”のチリドッグが気になったのだが、残念ながら倒産済みらしい。“ソーセージをビールで蒸す”のが特徴らしいが、もったいなくてちょっと真似しづらい。同じ味になるわけでもないし。