オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『フィアー・ストリート Part 3:1666』

Fear Street Part Three: 1666, 114min

監督:リー・ジャニアク 出演:キアナ・マデイラ、アシュリー・ズーカーマン

★★

概要

魔女伝説の真相。

短評

完結編となるシリーズ三作目。残念ながらこれはハズレだった。その理由は大きく分けて二つ。一つ目は、「どうなるのだろう」という“期待感”がそのまま楽しさになっていたこれまでの二作品に対し、「終わってみれば大したことなかった」という点。二つ目は、都市部の殺人鬼と田舎の怪人と比べて“魔女映画”というジャンルがそこまで陳腐しているとは感じられず、本シリーズ特有の“軽さ”と相性が悪い点。これもホラー映画らしさと言えるのかもしれないが、オチの雑さも気になった。

あらすじ

魔女サラ・フィアーの遺骨を一箇所に集めたディーナ(キアナ・マデイラ)。彼女の意識は1666年へと飛び、魔女伝説の真相とシェイディサイドの過去を知ることになる。真実を知った彼女は、全ての元凶である男との対決を決意するのだった。

感想

「魔女映画」と聞いて思い浮かべるのはどの作品だろうか。『サスペリア』は現代が舞台なのでちょっと違う気がする。本作の雰囲気はアニャ・テイラー=ジョイ主演の『ウィッチ』が近いかと思うが、どこか既視感はあるのに、それが“あるあるネタ”として楽しめる程のアイコニックな作品が思いつかない。殺しをエンタメとして消費できるスラッシャー映画とは異なり、魔女映画は“不穏さ”こそが肝となるのだが、本作は必要な雰囲気作りに失敗していた。魔女映画として優れているわけでもなく、ネタとして昇華しているわけでもない。これでは普通に出来の悪い作品である。

魔女サラ・フィアーの真実とは、彼女が実は魔女ではなく、レズビアンだったので魔女扱いされて吊るされたというもの。悪魔崇拝していたのはサニーヴィルの歴代保安官や市長を排出しているグッド家の男であり、過去の殺人事件は全てグッド家が力を得るために悪魔に捧げられてきたものということだった。サラの無念を同じく同性愛者のディーナが晴らそうとし、「真実が永遠に呪いとなる」という言葉が回収される#metoo的展開は悪くなかったが、街を単位とした貧富の差や意識形成の過程にまで踏み込まなかったのは物足りなかった。

1666年のサラ・フィアー編では前ニ作品に登場した演者が別のキャラクターを演じており、シェイディサイドの呪いが脈々と受け継がれてきたものであることを演出している。しかし、サラと彼女の恋人ハンナ以外はどちらかと言えば“加害者”側の人間であって、グッドの被害者としてまとめてしまうことに違和感がある。意識が飛んだディーナ以外は別の演者の方がよかったのではないか。

前半部で1666年の事件を消化し、後半部ではグッド保安官との決戦へ。ショッピングモール内で実用上の意味がそれほど感じられないカラフルな演出を施したのは『サスペリア』へのオマージュなのだろうか。ディーナの血に導かれた殺人鬼たちが内ゲバを起こす展開は阿呆すぎて失笑ものだったが、本当に酷いのはその後である。

グッド保安官を殺害し、シェイディサイドに平和を取り戻したディーナ。これでハッピーエンドということになっていたが、グッドを殺すべき理由はディーナだけが見た“ヴィジョン”である。そんなもの証拠になるか。TVニュースでは「保安官はシリアルキラーでした」と報道されていたが、彼は悪魔的力を利用していたのではなかったか。グッド本人が、誰を、どんな理由で殺したのか。仮に彼がシリアルキラーであったとしても、それでディーナによる殺人が許されるわけではあるまい。今回は疑惑ではなく事実だぞ。

魔女扱いされて「事実とは無関係に疑われたら終わり」と主張するハンナ。これは彼女たちが同性愛者であることを理由に魔女扱いされたことへの非難の言葉なのだが、#metooで加害者として吊るし上げられた男の側にも同じことが言えるというのは皮肉な話である。