オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『フィアー・ストリート Part 2:1978』

Fear Street Part Two: 1978, 110min

監督:リー・ジャニアク 出演:セイディ・シンク、エミリー・ラッド

★★★

概要

続・シェイディサイド殺人事件。

短評

シリーズ二作目。サマーキャンプというこれまた“ホラー映画あるある”なシチュエーションものである。前作のパンスライサーのような面白殺戮描写がないのは残念だったし、新たに判明する事実の要素は弱かったように思うものの、往年のスプラッター映画の雰囲気を楽しませつつ、完結編に向けて“繋ぎ”の役割はしっかりと果たしていたように思う。ヒロインも可愛かった。三十郎氏は赤毛フェチかもしれない。

あらすじ

魔女に憑依されたサムを元に戻すべく唯一の生存者C・バーマン(ジリアン・ジェイコブス)を訪ねたディーナとジョシュ。バーマンは逃げる以外に方法はないと言いつつ、1978年にサマーキャンプで起きた事件について語り出す。シンディ(エミリー・ラッド)とジギー(セイディ・シンク)のバーマン姉妹が参加したそのキャンプの逸話には、魔女を封じるための鍵が秘められているのだった。

感想

今回の元ネタは『13日の金曜日』なのだろう。他にも『悪魔のいけにえ』が思い出されるが、“都市部の殺人鬼”であった前作に対して“田舎の怪人”といった趣である。この「田舎には化け物が潜んでいる」という発想はよほど魅力的なのか、現代のB級ホラー映画でもしばしば見かけるような気がする。本作の犯人は魔女に憑依された若者であるため、“田舎ヤバい”な話ではないのだが、物言わぬ怪人が問答無用で人々を殺していくという構成は同じである。楽しくゴア描写を眺めつつ、魔女関係の話が進むのを待つことになる。サクサクな殺人と謎解きの二つの軸があるのでテンポは良い。

本作で用いられた武器はほぼ“斧”のみだった。頭をかち割ったりする描写は非常に楽しいが、独創性という点では弱いように思う。今でこそ“どうやって殺すのか”がスラッシャー映画の大きな注目ポイントとなっているものの、この楽しみ方が生まれたのは割と最近の話だったりするのだろうか(パッと思いつくのは『ファイナル・デスティネーション』)。70~80年代はただ殺す描写を直接見せるだけで十分に刺激的だったかもしれない。ちなみに、殺害シーンの直接的描写があるのは監督生世代に限定されており、子供に対しては自主規制が掛かっていた。この辺りは今も変わらないだろうか。殺し以外のグロ描写では“ゴキブリシャワー”のようなイタズラが楽しかった。

本題の魔女関係。前作で聞き覚えのある殺人鬼の名前が登場するのは楽しかったものの、進展の程度は低めである。「魔女の骨を一箇所に集めればいいらしい」という解決策と、前作で不明だった手の骨の在り処が判明するくらいだった。完結編となる次作では魔女サラ・フィアーの過去が描かれるようだが、果たして、全ての疑問が氷解するようになっているのだろうか。サニーヴェイルとシェイディサイドの関係は、きっと魔女本体の骨が移動させられていたことと結びつくのだろう(呪いを押し付けることで繁栄を享受していたとか)。他に気になるのは、一、二作目に共通して登場する“シェイディサイドから脱出しようとする者に対して「偽りの人生」とディスる者”の存在である。この意識の形成過程に貧困から来る諦め以上のものがあれば面白い。

今回は“イチャつくカップル”がしっかりと殺されていて笑った。ただし、おっぱい担当(Jacqi Vene)を捉えたカメラの移動速度が速すぎて、見えたのか見えなかったのかよく分からなかったのはマイナスである。

生存者「C・バーマン」がツイストになっていた。シンディ(Cindy)とジギー(Ziggy)の姉妹なので……というネタなのだが、「実は“クリスティーン”でした」という無理やりなオチにも元ネタがあるのだろうか。ちなみに「sister」の字幕が、判明前は「彼女」、判明後は「姉」とするフェアな配慮が成されている。