オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』

The Power of the Dog, 128min

監督:ジェーン・カンピオン 出演:ベネディクト・カンバーバッチキルスティン・ダンスト

★★★★

他:アカデミー賞監督賞

概要

粗野な牧場主とナヨナヨした青年。

短評

オスカー有力候補との呼び声高い一作(作品の出来とは無関係に受賞はないだろうが、その年の“本命枠”とも言えるネトフリオリジナル作品は明らかにクオリティが違う)。終わってみれば“意味が分かると怖い話”のような構成なのだが、序盤の焦点の定まらなさとは対称的にそうだと“分からせる描写”が抜群に上手く、物語の全体像が見えてくる頃にはゾクゾクする仕上がりとなっている。特に冒頭の一言で物語の全てが既に表現されていたと分かった瞬間は鳥肌モノである。簡単にまとめてしまえばシンプルな話だったようにも思えるが、そのプロットだけではない複雑な心理描写も多く楽しめ、正に“文芸もの”の趣であった。

あらすじ

1925年、モンタナ州。バーバンク兄弟の兄フィル(ベネディクト・カンバーバッチ)は粗野な性格の持ち主であったが、大牧場の経営に成功していた。彼らが訪れた集落の宿を営む未亡人ローズ(キルスティン・ダンスト)に弟のジョージが恋をするが、フィルはカネ目当ての雌ギツネとそのナヨナヨした息子ピーターのことが気に食わない。しかし、ジョージは兄の反対を気にすることなく結婚。ますます苛立ちを募らせるフィルだったが……。

感想

意外なことにバーバンク兄弟は“肉体派”と“頭脳派”で分かれているわけではない。肉体派の兄が部下を束ね、頭脳派の弟が経営面の実務を担うのが(物語的には)一般的な構図かと思うが、バーバンク兄弟の場合はどちらもフィル依存である(兄はイェール大卒で弟は落第)。ボンクラ弟が自分の意向に反して結婚し、(やたらと見上げるアングルで描かれる)支配的な兄の“超絶嫌な奴な義兄モード”が描かれる辺りまでは性格最悪な兄と心優しい弟の対比なのかとも思ったが、どんな話なのかは見えてこない。

しかし、フィルが何度も口にする「ブロンコ・ヘンリー」という師匠的存在との関係が説明される辺りから風向きが変わり始める。フィルが自身の“聖域”で「BH」と刺繍された布を取り出してオナニーし、彼がゲイであると判明する。「男らしさを強調する奴に限って」というやつである(このホモフォビアに対する嫌がらせ的な作劇の根底にも同性愛者差別があるような気もする)。つまり、彼の男らしさは自身の性指向を隠すためのものであり、ナヨナヨ青年なピーターをからかうのもその一端だったわけである。この“フィル=ゲイ”のフィルターを通すと、それまでは軟弱で頼りないようにしか思えなかったピーターが“妖艶”にすら見えてくる不思議である。

物語は「カウボーイが自分の性指向を隠すためにマッチョぶっていました」という哀しきマッチョイズムだけでは終わらない。フィル以外にも本性を隠している男がもう一人いるのである。映画冒頭、「父が死んだ時に僕が母を守ると決めた」という言葉が流れ、ゲイであることが判明する前はフィルがその誓い故にマッチョ化したのかと思った。ところが、彼の両親は二人とも健在であり、ピーターこそがその言葉の主であったと判明する。

その後の展開は全てその言葉の通りにピーターが行動していたというものであり、実は兄弟の対比ではなくフィルとピーター──“外向きは男らしい豆腐メンタルの持ち主”と“ナヨナヨな見た目だけど中身が強すぎる男”との対比だったわけである。ウサギについての描写を筆頭に節々の行動にピーターのサイコっぽさが現れていたが、まさかフィルにからかわれたストレスを“フラフープ”で発散していた青年の正体がこれだとは!三十郎氏はフィルが体調を崩した時点でようやく「ああー、そういうことだったかー」と気付いたのだが、全てが見事に腑に落ちた(アル中で首を吊ったという父親も彼が手にかけたのだろう)。

ピーターの目的は“母を守ること”である。夫の実家生活のストレスからアル中化した母の姿を見た彼は、「フィルのせいだね」と(どの時点で決心していたのか分からない)復讐を誓う。フィルが死んだことで、母を害し、自身の夢の“障害”となる存在の除去に成功したわけだが、実際にはそこまで単純な話ではないように思え、これが“フィルの物語”の方に深みを与えている。確かにフィルは最低の義兄かもしれないが、“心優しい夫”であるはずのジョージの方にも問題があるように思えて仕方がないのである。

たとえば、彼がプレゼントだと言ってピアノを贈ったり、社交界への入り口として知事夫妻を食事会に招く場面。ジョージをこれを“よかれ”と思ってやっているのだろうが、ローズにとっては明らかに負担となっている。ローズの下手くそな練習中に見事なバンジョーの演奏で妨害する嫌味なフィルとどちらの方が悪いのかよく分からない。

また、ピアノを自宅に運び込む場面では、牧場の従業員たちの泥まみれの足元が映し出されており、ジョージが必要な汚れ仕事を担っていないことが示唆される。そして、その部下を束ねているのは当然にフィルであり、ジョージが妻に優しくできるのも、ピーターが大学に行けるのも、実はフィルの能力ありきなのである。フィルの偽マッチョイズムは非常に有害なものとして描かれているが、その一方でそれに乗っかっている者がいるという構図が面白い。フィルを悪として簡単に割り切れる程に世界は単純ではない。

フィルの“男らしい行動”の一つに“自宅の風呂に入らない”というものがある。“風呂に入らないオタク”の源流は西部時代のマッチョイズムにあったのだ!彼がジョージから「知事夫妻が来るから風呂入って」と言われ、「じゃあ食事会出ない!」と拗ねる場面は大爆笑だった。ジョージが結婚できたのは、金があるという以外に風呂に入ることによる“清潔感”も理由だったのかもしれない。オタクたち、風呂くらい入れよ!もっとも、オタクにせよフィルにせよ、三十郎氏には風呂に入らない理由が全く理解できないわけだが。

若くて可愛い使用人ローラ役でトーマサイン・マッケンジーが出演している。結婚願望のあるジョージが手を出さないのが不自然なくらい可愛いくて目立っているので、何か物語に影響を与えるのではないかと思ったが、特に何もなかった。監督の出身地でもあり、ロケ地でもあるニュージーランド出身者枠なのか。

 

*追記

ネトフリ映画の本作が作品賞を逃したことは予想通りだったのだが、獲った『コーダ』もまたAppleTVの配信映画というのが……。気の毒なネトフリさん……。ニュージーランド女に西部開拓時代の精神についてとやかく言われたくない会員のいるだろうし(主演もイギリス人だし)、男性“下げ”の作品よりもマイノリティ周辺を描いた家族の感動物語(観てないけど)の方が幅広く票を集めやすかったか。クリエイター主導の尖った作品を制作可能であるとう長所故にネトフリのオスカーでの受難は続くのか。