オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『プラットフォーム』

El hoyo(The Platform), 98min

監督:ガルダー・ガステル=ウルティア 出演:イバン・マサゲ、ソリオン・エギレオール

★★★★

概要

無限階層穴地獄。

短評

スペイン製のSFホラー。一見奇抜な設定を用いているようだが、その意味するところは非常に分かりやすい。そもそもの設定や各階層での出来事には非常に納得感があるし、現実の社会構造をミニマルな形でビジュアライズした“装置”としてのアイディアも秀逸だった。表面的には謎だらけの事象を扱っていながら、この“読み解きやすさ”の加減のちょうど良さである(いくつか頭を悩ませねばならない点があるのも好バランス)。直球のメッセージを不穏な映像に乗せ、ジャンル映画としての面白さという点でも大満足な一作だった。

あらすじ

ゴレンが目を覚ますと、そこは“第48層”だった。中央に穴の空いたその部屋は、上下にどこまでも続いているように見える。毎日決まった時間になると、上の階から食べ物を乗せた台が降りてくる。同室の老人トリマガシ曰く、それは上の階の食べ残しであり、そのまた食べ残しが下の階へと運ばれていくのだと。また、一ヶ月毎に階層間の移動が起こるらしい。いくつかの階層を経験し、ゴレンはこの理不尽なシステムへの抵抗を決意する。

感想

冒頭で「上にいる者、下にいる者、そして転落する者」の三種類がいると語られる。この言葉と“残飯システム”を併せて考えれば、本作で描かれる“垂直自己管理センター”が現実社会、ひいては資本主義の縮図であることは明白だろう。上にいる者は下にいる者のことなど何も考えずに食い散らかし、下の階では食べるものがなくて“共食い”が発生する。資本家から奪わねば根本的な問題は決して解決しないのに、目先の食料のために貧者どうしで争う。我々の住む世界とそのまま同じ構図である。

しかし、本作には現実世界には存在しない(恐らくは)ランダムな“階層移転”のシステムが存在する。ゴレンの二人目の同居人となるイモギリは、元々は管理側の人間なのだが、彼女はシステムを正すために自ら進んで入穴してきている。その彼女が「皆で分け合えば足りるはず」と言って“連帯感”による解決作である“取り分け制度”の導入を図るため、この穴が一種の社会実験として運用されていることが窺える。

しかし、イモギリの取り分け制度は強制力を伴わねば成立せず、また、成立してもごく僅かな範囲に限られる。下の階層に落ちる可能性が皆にあり、「もし自分が下層に落ちたら」という状況を想像・経験できるシステムなのに、囚人のジレンマが制度の成立を妨げる。自分の生活が上手くいっている内は社会保障の充実に異を唱えがちなことに重なるが、それ以上に「食べられる時に食べておく」という感覚は理解しやすいだろう。

イモギリが自身が想定した第200層よりも下があると知って首を吊ったのは、地球上で人間が増え続ける限り、あるいは資本主義による格差が拡大し続ける限りは、階層が“下方向”へと無限に伸び続けることの隠喩と言えるだろう。

穴には一人一つの“持ち込みアイテム”が許されている。ゴレンが持ち込んだのは『ドン・キホーテ』であり、彼が時代遅れで夢見がちな理想主義者であることが示唆される。そのゴレンによる抵抗の内容とは、彼が第6層にいる際、第51層から最下層まで平等に食料を分け与えようとするもの。当然に抵抗に遭うわけだが、ゴレンと彼と同室のバハラトは“暴力”による解決を志向する。途中で対話路線を目指したこともあるが、結局は暴力である。彼らの行動は共産主義の歴史そのものだろう。理念としては非常に素晴らしいように思えるが、実践の面では暴力を伴う。また、上から降ってくる食料が限られている以上、最下層の位置(=計画経済)を見誤れば当然に失敗する。

こうして社会民主主義共産主義の両方が人間の欲や他者への不信の前に見事に敗北したわけだが、物語は最下層である第333層にいた子供という“伝言”を管理者に届けることで幕を下ろす。ここが本作最大の謎である。そもそも“管理者”とは何者なのか。政府に分配の意志を伝えれば制度が変わるのか。それとも、“子供”が下層の暮らしに陥りうるという窮状を伝えることで意識の変化を促すのか。あるいは、人間に分け与える管理者とは神であり、そもそも分配すべき資源が足りないことを訴えたのか。あなたの創った世界は失敗している、と。また、この子供が最下層住民にしては小綺麗すぎて実在しているのかどうかも分からず、それまでの分かりやすい隠喩的描写を見てくれば浮かぶであろう、「では、どうすれば世界を変えられるのか」という疑問と同じ答えのなさを最後に残した。