オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ランド・オブ・ザ・デッド』

Land of the Dead, 92min

監督:ジョージ・A・ロメロ 出演:サイモン・ベイカージョン・レグイザモ

★★★

概要

知性を持つゾンビの出現。

短評

ロメロ御大にとって『死霊のえじき』以来20年振りとなるゾンビ映画だったらしい2005年の一作。流石はジャンルの開拓者と言うべきか、ゾンビ映画の二つのお約束を破る設定が非常に面白かった。ただし、着眼点としては最高に良い一方で、そのテーマを深堀りするまでには至っておらず、少し消化不良の感は否めなかった。あとひと押し欲しい。とは言え、そんじょそこらの粗製乱造ゾンビ映画とは異なる非常に高クオリティなグロ描写も存分に楽しませてくれ、ロメロ御大の面目躍如であった。

あらすじ

死者が蘇って人々を襲う。世界は恐怖に包まれたが、一部の地域ではゾンビの侵入を防ぐフェンスが整備され、一定の秩序を取り戻していた。その一方、富裕層の暮らすタワマンとスラムの間では格差が広がっていた。ライリー(サイモン・ベイカー)とチョロ(ジョン・レグイザモ)の二人は手下を率いて物資調達を担っていたが、個人的に街の支配者カウフマン(デニス・ホッパー)に使えていたチョロがタワマンへの入居を断られて激昂。彼が装甲車“デッド号”を乗っ取ってカウフマンを脅す一方で、ゾンビは知性を獲得しつつあり、街に襲いかかろうとしているのだった。

感想

第一のお約束破りは、“ゾンビの知性”である。死体なので動きがノロマという原理主義的設定は放棄していないものの、頭の良いゾンビというのもまたゾンビの根幹を揺るがす設定変更である。粗製乱造されるゾンビ映画にあって、ゾンビというのは“人の形をした的”に過ぎず、一切の罪悪感を伴わず爽快に虐殺することが可能な便利な存在に過ぎない。本作は元は同じ人間であった者たちをそのように扱うことに対してメスを入れたことになるのかと思うが、知性の獲得そのものやそれが意味するところまで描き切れていなかったように思う。

第二のお約束破りは、“街の秩序回復”である。一般にゾンビ・アポカリプスは無法地帯である。ゾンビの出現によって政府は機能停止し、それに伴い警察機構も失われる。取り締まる者が不在であれば人々は好きに略奪に走り、既存の通貨は価値を失う。かくして、暴力の支配する世界が完成する。本作では、カウフマンが私財を投じることで一定の安全地帯を作り出し、その中で格差が生まれている。最初から秩序が整っているのであれば、その圏内で“プチ独裁国家”を成立させ、今までと同じように通貨による取引も可能となるだろう。しかし、秩序が失われた状態から「金払うから働いて」と頼んで誰が従うだろうか。また、金があるからと言って秩序が整うまで誰が彼を守ってくれるだろうか。

街に侵入したゾンビたちはタワマンを目指す。生者であれ、ゾンビであれ、全ては“持つ者と持たざる者の戦い”へと帰着するという価値観は非常に三十郎氏好みなのだが、ゾンビたちがタワマンを目指すことへの具体的な動機づけが欲しかった。確かにゾンビの虐殺のための部隊を整備し、そこから最も利益を得ているのは富裕層かもしれないが、知性の獲得や生前の恨みがそこに直結するのは少々飛躍があるように思う。本作が描いた二つの素材はそれぞれに大きな可能性を秘めていたと思うが、一本の映画にまとめ上げるには盛り込み過ぎの感がなくもない。惜しい、非常に惜しい。別作品として二つ撮って深堀りしてもよかった気がする。

ショーン・オブ・ザ・デッド』のエドガー・ライトサイモン・ペッグがゾンビ役でカメオ出演しており、BDの特典映像ではその裏側が見られる。同作や『ゾンビランド』に象徴されるように近年はノロマなゾンビをコメディの素材とする映画も多く、三十郎氏もそれらの作品が大好きである。翻って本作はゾンビ映画が“ホラー映画”であることを捨てておらず、単体ではあまり強くないのに“なんだかんだで目標に達する”というゾンビの恐ろしさがちゃんと描かれていた。これぞゾンビ映画である。