オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『マトリックス レボリューションズ』2

The Matrix Revolutions, 129min

監督:ウォシャウスキー兄弟(当時) 出演:キアヌ・リーブスキャリー=アン・モス

★★★★

概要

マシン側で対処できなくなったウイルスを人間が駆除する話。

感想

シリーズ三作目。最新作公開前の連続視聴である。本作についての思い出や感想もほとんど前回の視聴時に書いていしまっているため、気になったことをちらほらとメモしておく。

リローデッド』の感想にも書いたネオの現実世界における超能力について。「ネオが無線通信できれば一応の筋が通ると思う」という旨のことを書いたが、それではダメな描写があった。ネオとベイン(=スミス)がロゴス号内で戦い、ネオが失明。しかし、ネオには“スミス”が見えるのである。その後のマシン・シティやセンチネルについてはネオだけが無線通信できれば問題ないはずだが(あのゴチャゴチャした配線まで設計図データに組み込まれているなら凄い)、これはベインもまた無線通信できなければ理屈で説明不可能な“超能力”ということになってしまう。

ということは、ザイオン生まれ以外の人類は皆、無線通信のための装置が埋め込まれており、必要に応じて隠し機能が解放されるということでよいのだろうか。そんな便利なものがあるのならばザイオン側も徹底的に人体を分析して利用しそうなものだが、三十郎氏の貧弱な知識と発想ではそれ以外の解釈が思い浮かばなかった。なお、ネオがスミスとの最終決戦に臨む際には“有線接続”されている。無線では速度が足りなかったか。

三十郎氏は思い出補正もあって本作が好きだが、他の二作に比べると劣ることは否めない。単純に話が直感的な理解を超えて分かりづらくなったこともあるが、現実世界の描写が増えたのも大きな原因だろう。同じことばかりを繰り返しても飽きる、センチネル軍との戦い自体は凄い──擁護すべき理由もありはするものの、マトリックスらしさと言うか、スタイリッシュさに欠けていたのは事実である。

また、ザイオンでの人類vsセンチネルの戦いにネオが関与していないことも大きい。物語において“主人公の登場しない部分”というのは、どうしても“おまけ”的に認識されがちである。主人公が出ていなくても大事な場面は当然にあるが、「結局最後は~」ということになってしまう。このバランスについては改善の余地があっただろう。

ネオがマシン・シティで無数のセンチネルに対応しきれなくなった時、彼らは“空”へと逃げる。つまり、雲よりも高い建物で発電を行えば、マシンにとって“人間電池”は必要なかったわけか。人間を栽培する方がコスト的に優れていて選ばれたのだろうか。それとも、マトリックスでの実験でもしていないとマシンが自己の存在の意味に悩んでしまうという展開でも迎えるからなのか。

さて、約二十年ぶりの続編である。映画館で見てしまった予告編の情報以外は基本的に断っているのでどんな話になるのかはさっぱり分からないが、なんだかんだで楽しみである。近年は蔑ろにされがちな日本で最速公開というのも嬉しい話ではないか。デジタルの世界が身近になったことがどう物語に反映されているのか、ネオ以外の(特にトリニティの)現実世界における名前が分かったりするのか、モーフィアス役の変更には何らかの説明があるのか。色々と興味は尽きない。監督のキャリアが停滞気味であるため、過剰な期待は禁物だが、それでも“マトリックスの新作”なのである。