オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ビバリウム』

Vivarium, 97min

監督:ロルカン・フィネガン 出演:イモージェン・プーツジェシー・アイゼンバーグ

★★★★

概要

托卵神話体系。

短評

妻が浮気相手と子供を作るという日本的な意味ではない本来の意味での托卵ホラー映画。冒頭で明確に「托卵」というキーワードが示されているため、「こういうことかな?」と色々と考えることは出来るのだが、あまりの悪夢的な不条理さに「わけわかんねー」と混乱させられる。このバランス感に興味は尽きない。単純に人間版の托卵を描いただけなのか、それとも一歩進んだ解釈をすべきなのか。前者なのかと思いかけたところで最後の最後に個人的には非常に納得のいく落とし所が示され、不気味な雰囲気の魅力だけでは終わらぬイヤァな満足感を残してくれる一作となった。

あらすじ

ジェマ(イモージェン・プーツ)とトム(ジェシー・アイゼンバーグ)は新居を探して不動産屋を訪れる。職員のマーティンは“ヨンダー”という郊外の住宅地を勧め、彼の奇妙な様子に気は進まないながらも、早く家を決めたいこともあって二人は見学に行くことにする。ところが、見学中にマーティンが姿を消してしまい、帰ろうとした二人は同じ緑色の同じ形をした家が立ち並ぶ住宅地から出られなくなってしまう。ある朝、何をしても同じ家の前に戻ってきてしまう二人の前に一つの箱が置かれており、中には一人の赤ん坊が、そして箱には「育てたら解放する」と書かれていた。

感想

仕方がないので育てることにする二人。そして、カッコウよろしく(“親”と比べて)急激なスピードで成長を遂げる子供。二人のマネをし、食事をくれないと悲鳴を上げる少年の姿が最高に苛つかせてくれること間違いなしである。この辺りは普通に“人間版の托卵”っぽいのだが、その後の二人の行動や姿に本作を読み解く鍵があると思われる。

トムは、地中に何かあると感じたことから、無我夢中で穴掘りに没頭するようになる。一方のジェマは、「わたしはママじゃない」とは言いつつも、徐々に母性に目覚めるかのような様子が見られる。これはそのまま郊外の住宅地で暮らす夫婦の姿にも当てはまるのではないだろうか。夫は仕事に没頭し、家庭に取り残された妻は子育て以外にすることがない。どこにでも見られる光景である。なお、この状況だと順番を入れ替えて日本的な意味での托卵に至るまでの過程となりそうだと思ったが、それはなかった。

では、托卵された子供はどのような意味を持つのか。この人間の外見を持ちながら人間ではない存在の持つ意味が分からず、「托卵」というテーマをそのまま捉えてよいのかとも思ったが、青年に成長した彼の最後の言葉が見方を変えてくれた。曰く、「母親は世界のために子供を育てる存在」「育て終わったら死ぬ」。多くの人々は“その他諸々の要素”によって子供を産み育てることを肯定するが、本質的には彼の言葉の通りなのではないだろうか。つまり、子にとっての親とは“使い捨て”の存在である。たとえ愛情をもって育てようとも、所詮は“自分とは別の個人”であり、成長した子が家を出ればそこに“母親”は存在しなくなる。

青年が托卵した側であるマーティンのことも粗雑に扱っていたことを踏まえれば(青年もいずれはそうなる)、本作が“命を繋ぐ”という生物の本質的行為に対して非常にシニカルな態度であることが窺える。トムが命を削って掘った穴は文字通りの“墓穴”であり、彼はある意味では“死ぬために働いていた”ことになる。なお、こんな状況であってもトムとジェマはセックスしているのだが(見えたかどうか微妙)、家を買い、子を作り、働き、そして死ぬ──というのが“人生”であるならば、それは本作で描かれた不条理な世界とどこが違うのだろう。種の保存が無条件に人生の目的であって本当によいのか。

だから人は“何か”を求め、自分の、そして次の世代の人生が意味のあるものだと肯定したがる。しかし、本質的には生まれ、繁殖し、育て、死ぬのサイクルが無限に繰り返されているだけであり(穴で見つけた死体も“繰り返し”の象徴だろう)、“何か”というのはその虚しさを穴埋めせんとする精神勝利に過ぎない気もする。穴掘りも、他人の不気味な子を育てるのも、本人が「意味がある」と思えば、本人にとっては意味があることになる。箱に記されていた「解放」が「死」に他ならないことが、人生というものの虚しさを何よりも雄弁に語っているように思われて仕方がないのだった。それは恐ろしくもあり、同時に滑稽でもある。

ワーカホリックな夫と専業主婦の妻という“古いモデル”に対する違和感を表明する意図があったのだろうが、現代の生活様式であればジェマとトムが二人とも穴掘りに没頭しているといったところだろうか。仮に食料が自動的に届けられるのではなく、穴を掘れば地中から出てくるという方式ならば方式であれば現代人の生活そのものな気がするのだが、それだと男女の行動に違いが出ないので話を作りづらいか。いずれにせよ、虚しい人生である。