オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ノマドランド』

Nomadland, 107min

監督:クロエ・ジャオ 出演:フランシス・マクドーマンドデヴィッド・ストラザーン

他:金獅子賞、アカデミー賞作品賞、監督賞、主演女優賞

★★★★

概要

高齢ノマドの生活。

短評

なかなか受け止め方の難しいオスカー受賞作。日本人にとっては主人公ファーンの生き方がまだまだ現実味のあるものではないということもあるだろうが、自分が老後にあのような生活を送ることは御免被りたい。その一方で、過酷に思えるノマド生活がある種の救いとなっている面もあり、「こんな生き方は間違っている」と真っ向から否定することも出来ない。しかし、彼らノマドの存在によって得しているのが誰なのかと考えると、やはり納得はできない。つまり、“個人の生き方”としては“あり”なのだろうが、“社会のあり方”としては“なし”に思える。本作は後者的な“常識”を打ち砕くべく前者に寄った物語構成となっていたかと思うが、その単純かつ複雑という矛盾した生き方に相応しい複雑な味わいを持っていた。

あらすじ

2011年、USジプサム社が業績悪化の煽りを受けてネヴァダ州の工場を閉鎖し、城下町であるエンパイアもまた“閉鎖”される。長く町で暮らしてきたファーン(フランシス・マクドーマンド)もエンパイアを離れ、RV車に乗り込んでノマド生活を開始する。ある時はアマゾンの倉庫で、ある時は国立公園で、またある時はビーツ畑で、期間雇用の職と土地を転々とするファーン。彼女と同じような暮らしを送る高齢ノマドたちと出会い、ファーンは旅を続ける。

感想

高齢ノマドたちは皆様々な事情を抱えているが、誰もが“他に選択肢がない”というわけではない。実際、ファーンは姉ドリーから「うちに来い」と誘われているし(教師時代の教え子の親が「困ったらうちに泊まって」と言ったのは社交辞令だろうが)、彼女が出会ったデイブ(デヴィッド・ストラザーン)は息子に請われてノマド生活から撤退している。暢気な年金暮らしをすることもできず、死ぬまで労働と移動を続けなければならないノマドの生活は過酷そのものに思えるが、それを積極的に選ぶ理由があるのである。

この両面性をどう捉えたものだろう。ノマド“個人”の視点に立てば、それは現代という時代を逞しく生き抜く上での立派な生存戦略である。ノマドコミュニティの主導者であるボブ・ウェルズの「最後の“さよなら”がないのがよい」という言葉は刺さったし、彼らの“孤独”こそが“適切な距離感”に感じられさえする(三十郎氏も親しい知人の訃報に大きなショックを受け、自分が死んだ時にそのことを無駄に知る必要はあるまいと交友関係を狭めたことがある)。その一方で、「ノマド生活も悪くないよね」と認めてしまうと、今度はそれを悪用する者が現れる。彼らは所詮は“使い捨て”の存在であり、雇用者に都合よく利用されているに過ぎない。アマゾンのような強欲な大企業の他、国立公園まであらゆる場所が不安定な職に支えられている。その生活が“合っている”として自ら選ぶ自由はあるが、それを“強いられる”者はどうなのだろう。

日本でも「死ぬまで働け」を「一億総活躍社会」と、「首を切りやすく」を「雇用の流動化」と言い換え、アメリカ的な労働環境がそう遠くない未来にやって来るのかもしれない。その時、ファーンのようにそこに居場所を見出すことができれば、“生きる”ことだけに集中する人間の逞しさを賛美することもできようが、皆がそうではないだろう。ファーンは環境に適応できたが、その状況を招かないことの方が本質的に重要な問題だと思えてならない。ドリーはファーンの生き方を「昔の開拓者みたい。アメリカの伝統」と形容したが、開拓者たちが夢見た“未来”がノマドたちにはあるのだろうか。「新しい生き方」「新しい幸せ」──“従来どおり”が正しいとは限らないし、聞こえはよいかもしれないが、それが精神勝利でしかない場合のことを考えずにはいられない。

ボロボロとなったRV車を買い換えるように業者から勧められるが、“ヴァンガード(=先駆者)”と名付けた車を「House」ではなく「Home」だと拒否するファーン。ヴァンガードは多分に彼女の分身的であり、“乗り換えることができない”というのは自分の身体にも共通している。どちらにもいつかは“終わり”が来る。その時が来るまで動き続けることを、「なんと過酷な……」と嫌がるか、あるいは「生物としての正しい終わり方」だとスパッと受け入れるか。三十郎氏も今は見苦しく生に執着するような真似はしたくないと思うが、老後の気持ちはその時になってみないと分からない。

ファーンがドリーの友人たちに「借金を負わせて家を買わせるなんて不動産事業は理不尽」と語る場面がある。本作はリーマンショック後、つまりサブプライムローン問題の影響を受けた世界を描いており、やはりあれで“家を奪われる”という経験をしたことがアメリカ人の価値観を大きく揺るがすところがあったのだろうか。消費社会の限界の先に新たな生き方を見つけたのがファーンたちだが、そこでも消費社会に消費されているという実態が何とも言い難い。

ノマドの生活描写は興味深かった。“排泄”といった実際的な問題やパンク一つで命の危機に立たされるといったことが描かれている他、ほとんどのノマドたちに“本物”を起用したということもあり、細かいリアリティが象徴的だった。たとえば、女性ノマドの“短い髪”は、「虚飾」という既存社会の価値観を「実用性」で上書きしたことの象徴だろう。