オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『レリック -遺物-』

Relic, 89min

監督:ナタリー・エリカ・ジェームズ 出演:エミリー・モーティマー、ロビン・ネヴィン 

★★★★

概要

認知症の母。

短評

オーストラリア製のホラー映画。邦題に「遺物」のついていない『レリック』という映画があるようだが、そちらとは無関係。割と分かりやすく「認知症怖いです」を描いた一作ではあるものの、物語全体としてその恐怖を表現するだけに留まらず、個々の演出にまで“今、何が起きているのか”のメタファーが行き届いている秀作だった。それが頭を悩ませて読み解かねばならぬ程には難解でなく、その意図が感覚的にスッと入ってくる丁度よさなのである。自分も決して無関係ではいられない認知症の恐怖が、これ程までにゾクゾクする形でしっかりとホラー映画になっているのは新鮮だった。三十郎氏はベラ・ヒースコートが目的で本作を観たのだが、今回ばかりは「出演者を目当てに観た映画はハズレ」の法則の例外だった。

あらすじ

エドナ失踪の一報を受け、娘サム(ベラ・ヒースコート)と共に実家に帰ってきたケイ(エミリー・モーティマー)。幸いにも捜索開始の数日後にエドナはひょっこりと戻ってきたものの、どこで何をしていたのかは全く口にせず、「家に何者かが侵入している」と言う。エドナの様子を見るために数週間実家に留まることになったケイとサムだったが、不気味な染みや物音、そしてエドナの異様な行動が彼女たちの頭を悩ませる。

感想

大切な人がその人でなくなってしまう──文字通りの意味でのその恐怖を描いた作品である。その恐怖の根本には、ケイの祖父が認知症だと認識されぬまま森の中の小屋で孤独死してミイラ化したという過去があり、彼女は母が同じ末路を辿ることを潜在意識下で恐れている。本作が母、娘、孫の三人の物語となったのは、認知症には遺伝的要因があるため(「遺伝」という要素を強調するために隣にダウン症の少年が住んでいる)、遺伝的な“部外者”となる(元&故)夫は排除しておくのが適当だったのだろう。家に侵入してエドナに忍び寄る影は、言ってしまえば認知症そのものなのだが、「家=エドナ」の等式を用いた点が本作の面白さである。

「夫が死んで家が広くなった」というエドナの言葉が、娘や孫と疎遠気味な彼女の孤独を家という物理的空間と結びつけて端的に示している。老人ホーム入居や娘との同居をよしとせず、問題があっても“自宅”に拘るのは、それが彼女の人生と密接に結びついているからだろう。家の歴史がエドナの人生とイコールなので、いくら娘が「ホームに入るのが最善」と説得しようとも、本人に動く気は全くない。その家をエドナが物理的に破壊する(あるいは写真を食べたりアルバムを“埋める”)という表現が彼女の記憶に関する表現の最も分かりやすい例となるわけだが、これは憑依的な要素があると言っても「認知症の婆ちゃんヤバい」の延長線上である。

より面白い比喩的演出として、サムが“家で迷う”というものがある。家の中に隠し部屋みたいな空間があって……という流れから出られなくなってしまうのだが、このシーンの恐怖が本作の白眉である。その異空間でサムが後ろを振り向くと“出口がなくなっている”のだが、ここで思い出すべきは「家=エドナ」の等式である。「あれ、今、何しようとしてたっけ?」とボケてしまう経験は誰にでもあると思うのだが、この“思考の出口を見失ってしまった状態”が、エドナにとっては恒常的なものとなっていることが分かる。また、異空間においては重力の法則も捻じ曲がっており、これも思考の混乱や記憶の混濁を上手く表していた。

ここでもう一度“忍び寄る影”に話を戻すが、影が家に侵入したということは、即ち“エドナの中に入り込んだ”ということである。染みやアザといった形で表面化するのはその一部であって、内部はすっかり侵食されてしまっているわけである。「最近、物忘れが……」なんて笑い話にしている人もいるだろうが、実際的な問題として、それはすぐそこまで来ている。その事を思い出させ、また、それが二重の意味で不可避であることを突きつけるラストシーンは、色々な意味での恐怖──劇中で描かれる超常的なものとその裏にある現実的なもの。自分が“感じた恐怖”が次は自分が娘に“感じさせる恐怖”になるというもの──が綺麗に重なる瞬間である。序盤から中盤にかけてのじっくりとした描写も好きだったが、終盤は満点だった。

主要な登場人物はたった三人であるものの、人間関係の描写も上手い。大学と仕事を立て続けに辞めて人生迷走気味な孫サムは「ホームに入れるなんてお婆ちゃん可哀想じゃん。私が引っ越して面倒見ようかな」と言うが、いざエドナがその“正体”を明らかにすると、「ヤベえよ」と逃げる。一方、「母と一緒に住むのは無理」と言っていた“冷たい娘”ケイは、パイプでぶん殴ってダウンさせた母(介護疲れの表現としても秀逸)の元に「やっぱり置いてはいけない」と戻る。感情、責任、現実認識──母と娘、祖母と孫の距離感や関係が上手く現れていた。