オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『社会から虐げられた女たち』

Le bal des folles(The Mad Women's Ball), 121min

監督:メラニー・ロラン 出演:メラニー・ロラン、ルー・ドゥ・ラージュ

★★★

概要

“見える人”が精神病院に入れられる話。

短評

Amazon Originalのメラニー・ロラン監督・主演作。クソみたいな邦題への批判は後で詳述するものとして、『狂女たちの舞踏会』という小説の映画化である。19世紀末フランスにおける“精神病院残酷物語”の裏に男性のよる不当な女性支配・搾取があったという内容で、スリラーというよりもドラマの要素が強い一作だったかと思う。主人公の女が“見える”ことをもって女性肯定するのはどうなのかとも思うところもあったが、「女」×「精神病院」という男の歪んだ性欲を惹起する設定から批判へと繋げる構図が見事だった。

あらすじ

19世紀末のパリ。上流階級のウジェニー(ルー・ドゥ・ラージュ)は、活発な性格で詩を愛する知的な女性だったが、同時に“見える人”でもあった。しかし、その秘密を信頼していた弟テオフィルが父に漏らしてしまい、サルペトリエール病院に強制入院させられてしまう。病院からの脱出を目指すウジェニーは、看護師長ジュヌヴィエーヴ(メラニー・ロラン)に対し、彼女の亡くなった妹との交信を条件に取引を持ちかける。

感想

ウジェニーが強制入院させられたサルペトリエール病院は実際に存在する病院である。共同寝室でウジェニーの隣のベッドの住人となったルイーズ(Lomane de Dietrich)が「ヒステリー」の公開催眠実験に参加させられる様子に見覚えがあると思ったら、実験の主催者シャルコー博士は『博士と私の危険な関係』にも登場した精神科医だった。同作ではヒステリーというものが“男性に規定された症状”であることがボヤッと描かれていたように記憶しているが、本作ではそれが明確な形となっている。

ルイーズは若い医師から「君は特別だよ。結婚しようね」と誑かされ、いいように実験に利用されている。病院にはウジェニーやルイーズの他にも様々な症状を持った患者がいるのだが、クライマックスの“舞踏会”で明らかとなるのは、彼女たちが一様に食い物にされていること。ある者は頭が弱いのをいいことに身体を弄られ、ルイーズは若い医師からレイプされ、患者たちが楽しみにしていたはずの舞踏会は実におぞましい光景と化す。氷風呂や隔離個室といった精神病治療の歴史とジャンル映画的嗜虐趣味の裏に、そんな怖ろしい事実が隠されていたというのが本作の概略である。

ウジェニーの“見える”という能力は、彼女の“主観”による描写がないので分かりづらいところはあるものの、それが意味するところからすれば“本物”なのか。それは“理解出来ないこと”や“扱いづらいこと”をもって「病気」の枠にハメてしまう行為の示唆でありかつ、少なくとも本作に登場する限りでは胡散臭く根拠薄弱でしかない“科学”を盲信することへの批判が込められているのだろう(ウジェニーを信じつつあるジュヌヴィエーヴに対して彼女の父が「科学を教えて分別ある女性に育てたのに失望した」と。彼の「“なんとなく分かる”なんてありえない」には賛同するが)。これは隠喩としては悪くない描写だと思うが、「スピリチュアルな世界を信じる女性」と「科学と論理の男性」の対立はステレオタイプジェンダーに基づいている。性別を除けば後者の世界に属する女性も多く存在するだろうし、それを“象徴”として扱うことが作品のテーマに対して逆効果になっている部分もあるとは思う。

ウジェニーと対を成すもう一人の主人公ジュヌヴィエーヴ。本作の監督を務めたロランが、(それでも美しいという自信故なのかもしれないが)白髪交じりで老けて見える役を演じている。彼女は言わば“こちら側”の人だったわけだが、ウジェニーの霊との交信能力に救われ、彼女の病院脱出に手を貸すに至る。ウジェニーが隔離個室に入れられた時の「コルセット」の描写が象徴的なのだが、ウジェニーは父をはじめとする男たちの視線から逃れたことで、ジュヌヴィエーヴは(男の都合による)科学とは別の可能性を信じはじめたことで、二人は“解放”されるのだった。「朱に交われば赤くなる」がポジティブに機能した形である。他にも、半地下となっている隔離個室の“窓から射す光”にすがるウジェニーの様子や彼女を弄ぶかのように開閉する強面ナースも象徴的で、ロランの監督としての能力も光っていた。

最後に問題の邦題について。「社会から虐げられた女たち」──映画の内容には確かにそうした狙いがある。だからと言って、原題とは全く違う形で他人が「こんな話ですよ」と余計な先入観を与えるような真似をするのはいかがなものか。これでは本作を“観るべき”男たちは「フェミくさい映画か」と敬遠してしまうだけだし(あるいは最初からフェミニストだけを相手したマーケティング的に“売れる邦題”なのか)、また、先入観があることで映画を“読み解こう”とするための集中力も削がれてしまう。プライムビデオの担当者は「日本のユーザーはバカばっかりだから明示してやらないと理解できないだろう」とでも考えたのか。ユーザーを見下し、同時に映画の価値を毀損しかねない、『キューブ』や『デイ・アフター・トゥモロー』の邦題詐欺シリーズよりも最低の邦題だと思う。仮に権利の関係で小説と同じタイトルを使えなかったとしても、『マッド・ウーマンズ・ボール』の方がまだマシである。どこで買い付けてきたのか分からないような謎映画でもあるまいし。来る日も来る日も邦題をつけるためだけに大量の謎映画を見せられ、遂には映画そのものを憎むようになった資本主義の被害者だったりするのか。

社会から虐げられた女たち

社会から虐げられた女たち

  • ルー・ドゥ・ラージュ
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