オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ファウスト』

Faust, 96min

監督:ヤン・シュヴァンクマイエル 出演:ペトル・チェペック

★★★

概要

おっさんが悪魔と契約する話。

短評

アリス』のヤン・シュヴァンクマイエル監督が独創的なイマジネーションで描いた『ファウスト』。あまりに独創的過ぎてわけが分からなくなってはいるものの、その悪夢的映像体験には引き込まれるものがあった。全体の構成としては『アリス』と同じく、“おっさん”が“不思議の世界”に吸い込まれていくようなものとなっているのだが、その不思議の世界の中でも“虚虚入り乱れて”おり、観客を混乱の極地へと誘ってくれる。本人にとっては一つ一つの描写に意味があるのだろうが、三十郎氏にとってはひたすらに「何だか分からないけどすげえ……」である。

あらすじ

街で渡されたビラに描かれていた場所を訪れた男。男はその部屋にあった衣装を身に着け、『ファウスト』の台本を読み、舞台へと上がる。舞台から逃げ出した男は実験室に辿り着き、粘土から生まれた赤ん坊を発見する、男は操り人形の劇を見たり、そこから抜け出したりし、遂に悪魔メフィストフェレスを召喚するのだった。

感想

一応は「おっさん=ファウスト」の構図なのだと思うが、あらすじを整理しようとしてできなかったことからも分かる通り、そう簡単に「こうだ」と言えるような物語構成にはなっていない。『アリス』において不思議の世界内部のルールが一定でなかったように、本作もまた「現実」「謎の部屋」「実写劇」「人形劇」の四つが複雑に入り組んでおり、どれが第何層であるかという“入れ子構造”として把握できるようにはなっていない。おっさんはそれらを行き来し、世界は複雑に交わり、渾然一体とした意味不明を成している。

人形を操る“手”が何度も映し出されることからも、本作が“人為的な物語”であることが察せられる。不思議世界に迷い込んだおっさんは、果たして、“ファウストになった”のか、それとも“ファウストを演じた”のか(「えーと……」と台本を手に取る場面もある)。全体の構成としては原作に忠実でありながら、その基本的な構図すらも曖昧であり、三十郎氏にはシュヴァンクマイエルがこの有名な戯曲をどう扱おうとしているのかがさっぱり分からなかった。確か原作では「最後に愛が勝つ」的な結末を迎えたと記憶しているのだが、本作の結末との対比をどう捉えるべきなのだろう。

話はよく分からなかったが、映像の面では見どころが多い。コマ撮りで描かれる粘土ベイビー、おっさんと同じ顔がコマ撮りで喋るメフィストフェレス。金髪美幼女という清涼剤が(謎のバレリーナたち以外に)ないのが『アリス』との違いだが、その薄汚い独特の世界は、一つ一つが緻密に作り込まれている。シュヴァンクマイエルの代名詞とも言える“不味そうな食べ物”については、本作ではそこまででもなかったように思う。リンゴが腐ったり、おっさんの家のパンとチーズが不味そうだったりはするものの、ビールは(ハエが入っている以外は)普通に美味そうだった。口元のどアップもバレリーナのものに限ればフェティッシュで素敵である。テーブルから吹き出すワインは楽しそうだった。

コミカルな描写が多かった。「ピルケ!」「パドルケ!」の呪文を唱えられ、何度も召喚されたり追い払われたりする悪魔。「もう勘弁してくれよ……」と、最後は衣装を脱ぐのをやめていて笑える。他にも、ファウストに召喚されたメフィストフェレスが「大悪魔ルシファーの許可がないと……」と悪魔のくせに中間管理職のようなことを言い出したり、脚を運ぶ老人が犬に追いかけられたりする。ファウストの魂を取りに来た悪魔が「24年の約束だったけど昼も夜も働いたから12年で!」と滅茶苦茶なことを言い出すのも酷い。悪魔は契約不履行なのにファウストだけ履行させられて理不尽だ。そして、やはり何と言っても人形との交合シーンだろう。

ストップモーション・アニメでは、“動き”を表現するために“音”が強調されることが多い。本作ではコマ撮り以外のシーンでも同じように音が強調されており、それも“作為性”を際立たせるのに一役買っていたように思う。