オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『悪魔のような女』

Les Diaboliques(Diabolique), 117min

監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 出演:シモーヌ・シニョレ、ヴェラ・クルーゾー

★★★

概要

夫の愛人と共謀して妻が夫を殺す話。

短評

1996年にシャロン・ストーン主演でリメイクされているフランス製サスペンス映画。映画の最後に「ネタバレ厳禁」と注意されるような内容なので、この素敵なタイトルに惹かれるものがある方は是非ともここで引き返されるとよい。確かにオチが分かってしまうと魅力が半減してしまうような一作である。いくつか「そうはならんやろ」と思うところがないでもないが、「悲劇や恐怖を描く絵画にはつねに教訓がある」というバルベー・ドールヴィイの引用から始まり、いかにも難解そうな物語を予感させておいてからの……であるため、“しっかりエンタメ”していたこと自体が捻りが効いていたと言えるだろう。

あらすじ

パリ郊外の寄宿学校の校長ミシェルには妻クリスティーナがいながら、女教師ニコルと公然と不倫していた。しかし、彼は妻にも愛人にも暴力を振るうダメ男であったため、妻と愛人が共謀して彼の殺害を計画。二人が週末に出掛けた先の田舎に呼び出してミシェルを殺害し、アリバイもバッチリでパリに戻ってきたはずだったが、なんとプールに沈めたはずのミシェルの遺体が消えてしまう。

感想

二人の計画は次のような内容である。ミシェルを田舎に呼び出し、酒に睡眠薬を混ぜて眠らせる。眠った彼を浴槽で溺死させ、パリに運んでプールに捨てる。三十郎氏としては、ミシェルが誰かに目的地を伝えてからパリを発った可能性を考慮すべきかと思うが、彼が誰に見られることもなくパリを出て、死体となって戻ってくれば、“酔ってプールに落ちて死んだ”と推察すべき状況が成立。犯人二人はその時パリにいないため、宿の管理人の証言をもってアリバイが成立するというわけである。

ところが、“プールの水ぜんぶ抜く”をやると、そこにあるべき死体がない。文字で書いてしまうと先々の展開までなんとなく予想できてしまうのだが、それをさせないのが“悪魔のような女”なのである。ニコルを演じるシモーヌ・シニョレは、確かに人の一人や二人くらいは平気で殺しそうな冷徹女に見える(失礼。しかし賛辞である)。散々迷った末に夫の殺害に加担し、いざ死体が消えると「あなたがやったのよ」と責任を擦り付けようとする軟弱クリスティーナとは対象的である。しかし、初めは「落ち着け」と冷静だったニコルまでもが、クリスティーナと内輪揉めし、やがては「ヤバい……ヤバい……」とパリから逃げ出すものだから、こちらも「おやおや……」となるわけである。

かくして、「これでは『悪魔のような“女”』というよりも……」なホラー展開が見事に成立。オチで「やっぱり『悪魔のような“女”』だったな」となるのだが、財産の帰属を巡る伏線がちゃんと張られていたため、それなりに納得感があった。「まったく恐ろしい女だぜ」と思いきやからの「はい、逮捕」は、『下女』の夢オチと同じく社会的規範の要請によるものなのだろうか。本作は「実はクリスティーナも……」という思わせぶりな結末を採用しているものの、これはB級ホラー映画にありがちな“やってみただけ”のオチにしか見えない(初出はどの作品だろう?)。“ニコルの怖ろしさ”で締め括ってくれた方が、より後味が悪く、より三十郎氏の好みだったと思う。

冒頭の引用に戻る。因果応報の結末をもって「悪魔のようになるべからず」と警句を発している一作ではあるものの、三十郎氏はそこに別の“教訓”を見た。一つ目は、協力者と利害関係が一致しているのか冷静に考えること。どう考えても自分が邪魔者なのに、相手の意図を自分に都合よく捻じ曲げて解釈してはいけない。利用されるだけである。二つ目は、“やるならやる”で強い意志をもって犯行に臨むこと。クリスティーナはその時の感情に流されがちで、犯行もニコラ任せだった。一致団結してしっかり殺しきっていれば、あんなことにはならなかったのだ。そして三つ目は、脈を確認すること。せめてちゃんと殺したのかどうかは調べるべきである(ミシェルは真っ先にそれをしていた)。

自宅に舞い戻り、浴槽に沈んで“ドッキリ”を仕掛けるミシェルの口から、プクプクと空気が漏れ出ていて笑った。