オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ワンダーウーマン 1984』

Wonder Woman 1984, 151min

監督:パティ・ジェンキンス 出演:ガル・ガドットクリス・パイン

★★

概要

ダイアナ・プリンスと魔法の石。

短評

映画というのは公開される時期が非常に重要であることを教えてくれるDCEU9作目(既にユニバース扱いしてよいのか分からなくなっているが)。前作の公開時期は完璧であり、フェミニズムの旗手として持て囃された同作。その続編である本作がそれ以外の政治的挑戦をした点はよかったと思うが、コロナ禍で公開が延期され、皮肉にも少し“時代遅れ”となってしまっていた。政治面でのメッセージに重きを置き過ぎたためかアクションは弱体化し、アクションシーンの少ない中盤の冗長さが目立つ。また、そのメッセージについても随分と都合が良すぎると感じられた。

あらすじ

幼い頃より高い能力を発揮してきたダイアナ・プリンス(ガル・ガドット)。時は流れて1984年、彼女は“謎の女性”として人助けしつつ、スミソニアン博物館で働いていた。ある日、強盗事件で発覚した盗品がFBIから持ち込まれ、同僚バーバラ(クリステン・ウィグ)が鑑定を担当することに。その中に「一つだけ願いを叶える」と書かれた石があったのだが、ダイアナとバーバラの願いが本当に叶ってしまう。復活したスティーブ(クリス・パイン)との再会を戸惑いつつも喜ぶダイアナだったが、マックス(ペドロ・パスカル。この人はそんな悪人面でもないのに実は悪役みたなキャラばかりだな)という実業家が石を狙っていた。

感想

テレビを通じて目立っているが、実際には事業に失敗して借金まみれのマックス。その風貌を見れば一発で分かるが、完全に“偽トランプ”である。おまけに“壁”まで出てくるとなれば、その意図は誰の目にも明らかだろう。さて、「ワンダーウーマンvs偽トランプ」の構図でマックスがどんな悪さをするかと言えば、彼がこれといった“悪巧み”をすることはない。無計画な権力欲と名声欲が世界を混乱に陥れる。隠喩としては分かりやすいが、明確な目的を持たぬヴィランが相手というのは二時間半もある物語としての求心力を欠くことは否めない。

加えて、本作は元々2020年6月に公開が予定されていたものの、コロナ禍の影響で延期となり、結局は2020年12月に本国で配信開始となった。大統領選挙が行われたのは11月であり、既に現実世界が“ヴィラン”を倒してしまっている。一度目の延期は10月に公開予定だったらしいのに、どうして選挙後にしてしまったのか。

自らが権力を手に入れるのと引き換えに、人々の身勝手な願いを無計画に実現するマックス。本作の結末は、皆がその願いを撤回すれば美しい世界が戻ってくるというものである。「願い(=トランプに投票した過去)を撤回すればいい(=バイデンに投票すればいい。しない人には死んでもらう)」という明確なメッセージが発せられているわけだが、これは流石に都合が良すぎやしないか。仮にトランプの出現により表面化した社会的亀裂を修復することができるとしても、それを“なかったこと”のように扱うのは、問題から目を逸らしているだけだろうに。バイデン政権が“魔法の石”のように願いを叶えてくれるわけでもあるまい。それらの願いが生まれてしまった原因に目を向けようとしない万能の解決法こそが“身勝手な願い”ではないだろうか。

他にも、復活したスティーヴの肉体に元の人格があることを完全に無視していたり、エジプトでタクシーを購入した際に運転手を砂漠に置き去りするような、自分以外のことを全く顧みない、“よく考えていない場面”が目立つ(マックスと同程度に無計画である)。エジプトで謎王朝が成立すれば、“敵”であるソ連がそれを支持する。考えてみれば、トランプが世界に混乱をもたらしたのは事実かもしれないが、本作のように彼の一存で世界の命運全てが左右されるとまで描くのは、はっきり言ってアメリカ人の傲慢さが滲み出ているとしか思えない。「我こそは世界なり」でありながら、悪いのはトランプであり、悪いのは敵国という他人事思想。ここまでいくと逆に清々しい。

前作のビーチでの戦いを見た時に三十郎氏は監督の手腕に疑問を抱いたのだが、本作でそれが確信に変わった。彼女はアクションの演出が観客に与える印象をコントロールできていない。本作冒頭、セミッシラで(難易度マックスのSASUKEみたいなステージから始まる)競技会が開催されている。結局はチートを指摘されて失格となるものの、幼女ダイアナ(リリー・アスペル)が“活躍”する様子が、周囲が王女に忖度しているようにしか見えない。また、迫力では本作随一となるエジプトでの道路のシーンも、最後は“轢かれかける子供たちを救う”というの。広い土地があるのにわざわざ道路で遊んでいるのは“助けられるため”でしかないし、何台も車が爆走して近づいているのにも気付くだろ。遊んでいる子供たちも、周囲にいる大人たちも。

マックスが戦闘タイプではないので代わりに用意されたヴィランとの対決シーンも、相手役が動けないからなのか、格闘描写がCG頼りで軽い。また、伝説のアイテム“ゴールドアーマー”は防御特化型なので活躍の程はイマイチである(あれは誰が何と言おうとダサいと思う。“空を飛んで取りに行く”よりもアーマーの羽を使って飛べばよかったのに)。結局、強盗撃退の場面が一番格好いいという尻すぼみだった。ワンダーウーマンの流れるような素早い動きをもっと見せておくれよ。ロープをくるくる回す間抜けな姿を晒すよりも、もっと動き回れよ。

力を手にしたバーバラが酔っぱらい男をボコる姿が、SNSというツールを手に入れた即席フェミニストたちと重なっている。あえて支持者を突き放すかのような自戒的描写が、ワンダーウーマンを活躍させて観客を無条件に気持ちよくさせるだけでないチャレンジ精神を感じさせた。

本作の中弛みの最たる例は、スティーブとダイアナが独立記念日の花火を眺める“ロマンティック”な場面だろう(ダイアナが“父から教わった技”で飛行機を不可視化するのだが、父親(というか男)いたのか)。ダイアナがスティーブと一緒にいたいのは分かるが、その時点では彼と行動を共にしなければならない必然性は存在しない。彼女が一人でカイロに飛んで問題を解決し、すぐに帰ってくれば済んだ話である。

舞台となった80年代。他のキャラクターたちに色彩・デザイン共に“コテコテ”のダサいファッションを着させておいて、ダイアナだけが現代の感覚にも馴染む服装をしているというのは、少々卑怯なのではないかと思った。

映画のラストでスティーブの肉体の持ち主が「Happy holidays」とダイアナに声を掛けている。非キリスト教徒に配慮し、最近は「Merry Christmas」を使わなくなってきていることは知っていたが、いつ頃から切り替えられたのだろう。