オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ある女優の不在』

سه رخ(3 Faces), 100min

監督:ジャファル・パナヒ 出演:ベーナズ・ジャファリ、ジャファル・パナヒ

★★★

概要

女優に自殺動画が届く話。

短評

カンヌで脚本賞を受賞したイラン映画。「自殺動画を送ってきた少女に何があったのか」というミステリーとしては弱いのだが(はっきりとした“答え”が提示されるわけでもない)、「イスラム社会の女性に対する抑圧性を告発するんだろうなあ……」くらいにお決まりの展開を予想していると少々面食らうような意外性があった。監督や女優が“本人役”で出演していることからも分かる通り、多分に自己言及的なのである。ある種のミステリーを期待させられただけに、徐々にエンタメ感が萎んで拍子抜けしたのは事実だが、動画少女と監督自身の境遇を結びつけるという試みが面白く、イラン社会のことをよく知らない割には「なるほどな」と思える一作だった。

あらすじ

イラン人女優ベーナズ・ジャファリ(本人)宛に、映画監督ジャファル・パナヒ(本人)経由でマルズィユ(本人)という少女からメッセージ動画が届く。曰く、女優を夢見て芸大進出を決めたが、自身や婚約者の家族のせいでダメになり、ジャファリに助けを求めたものの反応がなく、だから死ぬと言うのである。ジャファリはイタズラではないかと疑いながらも、どうしても真相が気になり、パナヒと共に少女が住んでいるというサラン村へと向かう。

感想

「あなたが助けてくれなかったから死にます」という自殺動画が送られてくる冒頭部には「は?何言ってんだ、勝手に死ね」としか思えないし、ジャファリが三十郎氏の如き人物であればその時点で話が終わっていただろう。そもそも見ず知らずの有名人に助けを求めるという感覚が理解できないのだが、村を訪れたジャファリたちに村人が「停電で困ってる」「助けに来てくれたのかと思った」などと身勝手な発言しているように、イランでは割と普通のことなのだろうか。

男尊女卑の酷いイスラム社会の、それもド田舎が舞台とあれば(しかもトルコ語が話されるような僻地)、女性に対する抑圧を告発するお決まりの展開になるのかと思う。そうした面があることも否定はしないが、浮かび上がってくる“真相”は、どちらかと言えば映画への偏見や抑圧だった。女優を夢見て芸大に進むというマルズィユを、村人たちは「村に芸人は要らん」「勉強が何の役に立つ」と爪弾きにしている。これが「田舎はクソだな」で終わらせられる話ではなく、イラン社会全体と重ねることができるのである。

三十郎氏はパナヒ監督の映画を観たことがなかったのだが、『人生タクシー』の予告編を見たことはあったため、彼が反体制的な映画を撮って逮捕され、映画制作を禁じられた人物であることくらいは知っていた(レンタルDVDの本編開始前に流れるスキップできなくイラつく予告編もたまには役に立つ)。つまり、社会の抑圧によって自分の思うように生きられないという問題は、マルズィユの住む村に特有のものではなく、イラン社会全体がそうだということを意味するのである。

安楽死させるより他にないような牛を「黄金の玉を持つ絶倫だぜ」と延々自慢したり、“塩漬け包皮”を他人に託そうとするような人々は、滑稽で笑えはするものの明らかにズレている。マルズィユが独自のすれ違いルールを持つ道幅に対して「彼らは道ではなくルールを変える」と言及しているように、現状維持に汲々とするあまり目の前の問題から目を逸らしている。自分の住む地域や国を悪く言いたくないがためにアクロバティック擁護に走るかのような行為である。そんな田舎の閉塞性という誰もが認識しやすい問題を映し出すことで、それが決して自分たちに無関係ではないことを浮き彫りにする。この構成は上手い。

このように考えてみると、三十郎氏が「女優に助けを求めるとか頭おかしい」としか思えなかったマルズィユの行動も、別の意味を持つことになる。女優個人に助けを求めて何とかしてくれると考えるのは間違っていると思うが、マルズィユがジャファリの持つ力を信じていることは、パナヒが映画の持つ力を信じていることと重ねられるのかもしれない。現状を変える力があると信じているからこそ、当局の弾圧を受けながらも、決して心を折られることなく映画制作を続けているのかもしれない。それは革命前に映画界で活躍するも、現在は村で迫害を受けている女優シャールザードの姿とも重なる。

監督や女優が本人役で出演していること、映像が少々チープな質感であること。これらの要素からモキュメンタリー的な性格を持つ一作だが、それが徹底はされていなかった印象である。手持ちカメラをその場に置いたかのような固定アングルがいかにもファウンド・フッテージ的な一方で、カメラマン不明の第三者視点の映像も普通に出てくる。この演出意図が“現実性”と“自己言及”を強調することだったのは理解できるが、うまく折り合いをつけた最適解は他になかったのだろうか。

「イタズラじゃない?」と疑うジャファリに対し、「これが編集ならプロの仕事」と返すパナヒ。果たして、彼には見る目がなかったのか、それとも分かった上でジャファリを村に連れて行ったのか(動画がパナヒ経由で届いたというご都合主義を踏まえれば後者?)。

ある女優の不在(字幕版)

ある女優の不在(字幕版)

  • ベーナズ・ジャファリ
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