オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『マイ・プレシャス・リスト』

Carrie Pilby, 98min

監督:スーザン・ジョンソン 出演:ベル・パウリー、ネイサン・レイン

★★

概要

飛び級天才JD現ニート

短評

やりたかったことは分かるけど……という残念さの目立った一作。14才でハーバードに飛び級進学した主人公が“普通の発育過程”の欠落を埋めるという物語なのだが、“天才”という設定が背景以外には何も活かされておらず、悪い意味で“普通”の作品となっていた。ほうれい線と目の下の隈の目立つ主人公が“大人びた子供”というよりも“幼稚なおばさん”にしか見えないのは百歩譲って我慢するとしても、彼女の個性を無視して“普通の幸せ”に当てはめるような物語に何の意味があるのか。

あらすじ

12才でロンドンからアメリカへと渡り、14才でハーバードに飛び級進学したIQ185の天才キャリー(ベル・パウリー)。しかし、卒業から1年が経って19才となった今は、ニューヨークで本が友達の半引きこもり生活を送っていた。そんな彼女に父(ガブリエル・バーン)の友人でもありセラピストでもあるペトロフが、幸せになるためのリスト──「デートをする」「友達を作る」「大晦日に一緒に過ごす相手を見つける」「ペットを飼う」「子供の頃に好きだったことをする」「大好きな本を読む」──の内容を実行することを勧める。

感想

もう少し工夫できなかったのかと非常に残念に思われる天才描写だが、“凡人の描く天才”の典型とでも言うべきか、“ただの物知り”レベルの言動が見られるだけである(それすらも大したことはない)。行動も天才というよりはただの発達障害のそれであり、ほんの一瞬でも「流石!」と思わせられるような場面がない。彼女がしつこく口にする写真記憶だって何の役にも立たないし、能力を活かせないが故の苛立ちすらも感じられない。

この「天才」という設定は、キャリーが飛び級によって同世代の若者たちと同じ経験をできなかったということを導き出すためのものであり、彼女がいかに天才であるのかは重要ではないのだろうが、天才だということを強調していただけに強い違和感を覚える。

ペトロフのリストに文句を言いながらも従い、金魚を飼い、チェリーコークを飲み、新聞の広告欄で恋人募集していた男とデートするキャリー(マッチングサイトは嫌だったらしい)。16才の頃にロリコン教授にヤリ捨てされたトラウマを克服し(同意があれば16才で合法らしい)、不仲だった父ともちゃんと向き合い、最後はイケメンの隣人といい感じに。めでたしめでたし、である。

キャリーがまるで天才に見えないという問題を抜きにしても、この物語の一体どこに天才要素があると言うのか。「天才でも同じ人間だから同じように悩む」とでも言いたいのだろうが、そこに“天才ならでは”の何かがないならば、強いて彼女の物語を見る必要はどこにもない。これは天才に対する同情というよりも、自分を天才と同一視したくて同じステージに引きずり下ろしているだけである。この卑屈な行為に対して無自覚なポジティブさを持ち込むというのは、はっきり言って気味が悪い。

そもそもキャリーがボストンを離れてニューヨークでニートしているのだって(父の見つけた仕事場で働きはする。働くのも嫌な天才なら院に進めよ)、イケメンと散歩するシーンを素敵に撮りたかったというだけなのだろうし、恋愛脳による“普通”をそれが“幸せ”なのだと押し付けただけに過ぎない。「こういうのを見て喜ぶ層がいるんだろうな」と軽蔑したくなってきさえする。結局のところ、凡人が凡人の幸せを肯定するために都合のいい天才を持ち出すという、凡人の凡人による凡人のための映画なのだ。これは主人公の人格を無視して観客の顔色を窺っているに等しい。

物語のあまりの凡庸さには閉口するばかりだったが、コメディドラマとしはそれなりに笑えなくもない。「ハーバード卒って言ったら『賢いこと言って』って言われるから嫌」の直後に同じ言葉を投げ掛けられるベタなギャグや、ペット屋の店員と金魚の返品を巡って争う場面なんかは普通に笑えた。同僚タラ(ヴァネッサ・ベイヤー)のキャラクターも好きである。というわけで、つまらない映画とは言わないが、ひどく不出来な脚本だったと思う(マーケティング的にあえて狙った可能性もあるだろう)。