オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『若草物語』

Little Women, 118min

監督:ジリアン・アームストロング 出演:ウィノナ・ライダーガブリエル・バーン

★★★

概要

マーチ家の次女ジョゼフィーン。

短評

1994年版。ウィノナ・ライダーが無敵に可愛かった。「女性の物語を女性監督が」とコンセプトは、2019年のグレタ・ガーウィグ版よりもずっと前に実現されていたようである。同作と同じく『続・若草物語』までの内容を扱っているようなのだが、同作の見せた“改変”の印象が大きく変化した。ある意味では『若草物語』らしさとも言える説教臭さは影を潜めており、原作よりは幾分親しみやすくなっているものの、同時に“断片的”であるようにも感じられた。

あらすじ

長女メグ(トリニ・アルバラード)、次女ジョー(ウィノナ・ライダー)、三女ベス(クレア・デインズ。本作で劇場映画デビュー)、四女エミー(キルスティン・ダンスト)のマーチ家四姉妹。父は南北戦争へと出征し、母(スーザン・サランドン)と女中ハンナと共に女だらけの家庭で慎ましく暮らしている。隣に住むローリー(クリスチャン・ベール)との出会いやベスの猩紅熱罹患といった出来事を経て、ジョーは作家を目指してニューヨークへと旅立つ。

感想

原作が“四姉妹”に焦点を当てていたのに対し、後に作家となるジョーを中心に描いている点はガーウィグ版と同じである。前半は(主にベスのエピソードが削られつつも)原作通りに進行し、後半でジョーとベア(ガブリエル・バーン)の馴れ初めがじっくりと描かれている(これが原作通りなのかは未読なので知らないが、恐らくそうなのだろう)。原作からして“エピソードの詰め合わせ”感がある話のため、二冊分の話を二時間にまとめた本作も断片的であるとの印象は免れない。それを“回想形式”を採用することで必然化したガーウィグ版の構成の上手さを確認できた。

その一方、ガーウィグがほぼ完全否定したベアとの“ハッピーエンド”だが、こうして改めて過程を見てみると、そこまで不自然なものではないように思えてきた。ジョーがローリーの求愛を拒んだのは、幼い頃から植え付けられてきた「清貧」の思想が「金持ちと結婚して幸せになる」ことを受け入れなかったのだろう。そのローリーの代わりに選ぶ男が貧しい家庭教師というのは、姉メグの選択とも重なっており、ある意味では思想的必然に思われる。また、ニューヨークで目先の金のために駄文を売っていたジョーに自分にしか書けない物語を書くように勧め、“目覚めさせて”くれたのはベアであり(オペラ観劇でときめく場面だってある)、ガーウィグの描いた“強制された馬鹿げたハッピーエンド”という印象は受けなかった(ベアがロマンスの相手としはおっさんすぎる点を除けば)。

ガーウィグが“創作に殉じる行為”こそが崇高であると描いたのは多分に自己投影的であり、読み手として「オルコットは絶対にこう思っていたはず」と確信するのは自由だが、それが現代の価値観と合致しているからと言って、「原作もこうなのだ」と観客が無批判に受け入れてよいものではないと思う。あれは解釈の範疇を超えて“ガーウィグ版の話”なのだと改めて思う。

12才と16才(サマンサ・マシス)で演者の変わるエミー(字幕がエミー表記だったので)。成長した時に「いきなり大きくなりすぎだろ」と思いはしたが、やはりあの役は本物の少女に演じさせてこそのものだったと再確認できた。ジョーの原稿焼却事件に象徴される無邪気な悪意というのは、大人に演技させてもどうしても違和感が出る。

本作も主要スタッフに女性を揃えたとのことなのだが、撮影監督は男性である。ちなみに、ガーウィグ版も撮影監督は男性となっており、どうもこの分野は映画界の中でも特に女性の進出が遅れているらしい。2017年の『マッドバウンド 哀しき友情』のレイチェル・モリソンが唯一のオスカー・ノミニーのようである。「機械=男」の経路依存的な理由でもあるのだろうか。