オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『イーダ』

Ida, 81min

監督:パヴェウ・パヴリコフスキ 出演:アガタ・チュシェブホフスカ、アガタ・クレシャ

他:アカデミー賞外国語映画賞

★★★

概要

ユダヤ系の修道女。

短評

モノクロの静謐なポーランド映画。戦中・戦後のポーランドの歴史の暗部をモチーフに、一人の少女が自身の存在を問う。アイデンティティの問題というのはそれだけで難しいものである上に、ポーランドの歴史をよく知らないので理解が及ばない部分は当然にある。しかし、口と表情ではほとんど何も語らぬ主人公が感じているはずの“揺らぎ”は、よく分からないなりに強く訴えかけてくるものがあった。

あらすじ

1962年、ポーランド修道院育ちのアンナ(アガタ・チュシェブホフスカ)は、ある日、院長から唯一の肉親である叔母ヴァンダ(アガタ・クレシャ)の存在を知らされる。修道女としての誓願を立てる前に叔母に会いに行くように言われ、ヴァンダの家を訪ねたアンナだったが、自分が本当はユダヤ系であること、そして「イーダ」という名であると告げられる。自身の出自を知るため、今は亡き両親のことを調べるべくイーダは叔母と旅に出る。

感想

カトリックを信じて(それも一般家庭ではなく修道院で)育ってきたのに、自分が本当はユダヤ人だった──この事実がイーダに与える衝撃はいかほどのものなのか。イーダが強いショックを受けるような描写もないため、その程度は分かりづらいものの、「何を信じて生きるのか」というのは、割と存在の根幹に関わる問題なのだろう。物語はイーダの「自分は何者なのか」が崩れることによって発生する問い掛けからスタートし、旅の過程で明らかとなる秘密やイーダとは対称的な生き方をする叔母ヴァンダとの対比により、彼女の静かなる葛藤が言外に語られる。

ポーランドの歴史に明るくなくとも、悪名高きアウシュヴィッツポーランド国内にあったことくらいは知っている。つまり、ナチス占領下におけるポーランド国内でのユダヤ人迫害は相当に苛烈であり、それに協力する非ユダヤ人が多くいたことは想像に難くない。イーダたち(実質的には叔母一人が主導して)が“捜査”を進めると、彼女の両親が“匿ってくれた人”に殺害されたことが明らかとなる、と同時に、イーダが殺害者によって生かされていたという事実も判明する(ユダヤ人は人種ではないため外見では分からない)。彼女がその感情を表に出すことはないが、憎むべき相手が命の恩人であるというのは、それもまたアイデンティティの危機であろう。

複雑な事情を抱えているのはイーダだけではない。ヴァンダは幼い息子を姉に預けていたが、姉共々殺害されてしまうという過去を背負っていた(男子は割礼でユダヤ人だと分かる)。しかし、現在の彼女が酒と男に溺れる日々を送っているのは、息子を失った悲しみだけによるものではない。彼女はかつて“赤いヴァンダ”の異名を持つ検察官として仕事をしており、“人民の敵”を多く葬り去ってきた。つまり、ナチスと変わらぬ行為に彼女もまた手を染めていたのである。この大いなる矛盾が彼女から“拠り所”を奪い取るものであることを考えれば、唐突にも感じられる最後の行動も納得がいく。二人の人物の歴史と国の歴史を見事に重ねていたと思う。

両親の遺骨を回収して家族の墓に埋め、誓願を済ませ、叔母の葬儀に参列するイーダ。誓願を済ませて修道女になりはしたものの、それ事実がアイデンティティの危機を解決してくれるわけではない。葬儀後、彼女は生前の叔母のように振る舞い、飲酒、タバコ、そしてセックスと“不良化”する(微妙に一瞬だけ見えていたと思う)。しかし、それで心の隙間が埋まることはなく(ピロートークで二人の将来を語る青年に対して「それから?」という空虚な質問を繰り返すのが印象的だった。あれは返答に困るだろう)、彼女は改めて修道院へと戻っていく。

ここでのイーダの行動は、男として少々戸惑いを覚えることもあり、その心中を直感的に理解できたわけではないものの、きっと彼女は改めてカトリックに帰依することを選択したのだろう。本作は、画面下半分の隅に人物の顔を配置し(「首切り」と呼ばれる忌避されがちなものも含む)、上半分に不自然なまでのスペースを空ける構図が多く見られた。誓願前夜のイーダがキリスト像(?)を見上げるシーンでも同じ構図が用いられているため(この時は「まだ無理です。お許しを」と)、何か“上の存在”を常に意識させる意図があったのではないかと思われる。何を信じればよいのか分からない世界にあって、拠り所を失くして身を投げた叔母とは対称的に、イーダは自ら“神”を選択したのである。

イーダ DVD

イーダ DVD

  • 発売日: 2015/05/01
  • メディア: DVD