オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『わが谷は緑なりき』

How Green Was My Valley, 118min

監督:ジョン・フォード 出演:ロディ・マクドウォール、ドナルド・クリスプ

他:アカデミー賞作品賞、監督賞、助演男優賞(ドナルド・クリスプ)、美術賞(リチャード・デイ他)、撮影賞(アーサー・C・ミラー

★★★

概要

炭鉱町のモーガン一家。

短評

市民ケーン』がハーストの妨害によって一冠(脚本賞)に終わったことにより、棚ぼた的にオスカー五冠獲得を果たした一作、という評価は流石に失礼だろう。映画全体に漂う古臭さもひっくるめて、インパクトはないが良い作品には間違いない。昔ながらのヒューマンドラマである。本作は主人公が“幸福だった少年時代”を回想する形で描かれているのだが、客観的には辛い出来事ばかりのようにも思える。それでもなお幸福な記憶として回顧できることに人間の逞しさを感じるのだった。

あらすじ

ウェールズの炭鉱町に暮らす父と母、そして六男一女の兄妹の末っ子として生まれ育ったヒュー。父と兄は皆炭鉱夫として働き、仕事が終われば母たちが出迎える。ヒューもそんな生活に幸せを感じ、いずれは自分も炭鉱で働くことに憧れていた。しかし、賃金の引き下げに対抗するストライキを巡って父と兄弟が対立。また、冷たい川に落ちたヒューは歩けなくなってしまう。家族がバラバラになりかけながらも逞しく生きるモーガン一家だったが、彼らに幾多の苦難が降りかかる。

感想

「私の谷がいかに緑であったか」というタイトルに反し、ヒューの故郷は石炭カスによってどんどん黒ずんでいく。町が黒ずむのと比例するかのように人々の心も荒んでいき、この物語を回想しているヒューもまた初老に差し掛かって町を去ることになる。本作が描いているのは炭鉱町の辛く厳しい現実であり、悲劇的な出来事も多いのだが、それらを思い返してみると、その中に確かに存在していた幸福が浮かび上がってくる。それこそが人の営みというものなのだろう。

炭鉱町に暮らす一家という小さな単位を描いた物語ではあるものの、そこに炭鉱事業の終焉という一つの町のライフサイクルの終わりがリンクしており、たったの2時間弱でちょっとした大河ドラマを観終えたかのような感覚を覚えた。実直に働いていれば幸せに暮らせた“古き良き時代”が終わろうとし、守旧派と改革派の対立は親子をも切り裂く。それでも何とか人々は暮らしていくのだが、市場の論理による失業や危険な仕事故の悲劇から逃れられない。そんな“社会の変わり目”が上手く盛り込まれていた。

特に印象的だったエピソードは、一家で初めて学校を卒業したヒューが父から「この先どうする?」と尋ねられ、「炭鉱で働く」と返すもの。炭鉱夫の仕事が割に合わなくなってきていることを肌身で実感している父(だからこそ息子を学校に行かせたのだろう)が「もっとましな仕事を……」残念がる一方で、母は「私の息子たちがまともじゃないって言うの!」と怒る。時代の流れという大きな変化は避けようもないが、それについていけない人も多い。その狭間を生きるヒューが“今までと同じ生き方”を選んだという事実が、彼がその暮らしをいかに愛していたかということを象徴していると言えよう。

物語全体としては「振り返れば美しい思い出が……」な一作ではあるが、やはり綺麗事ばかりではない。劇中では一家の内の二人が炭鉱で事故死するし(初恋の人ブロンとのレビラト婚的展開にそこはかとないNTRの臭いを感じたが、あれも厳しい時代を生きる術か)、美しい姉アンハラッドモーリン・オハラ。本当に美人)は陰湿な田舎故に愛する人と結ばれない(結婚式の死んだ顔)。ヒューも学校で先生から「炭鉱の天才w」とバカにされ、生徒からもイジメを受ける。現代の感覚では信じがたい程の劣悪な環境である。そんな世界の“汚い部分”に負けずに生きたヒューの輝きなのである。

本作の舞台はウェールズなのだが、訛りがスコットランドに似ているように感じた。もっとも、三十郎氏には「イギリス英語とイギリスの田舎の英語」レベルでしか判別できないのだが。

わが谷は緑なりき(字幕版)

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Modern Classics How Green Was My Valley (Penguin Modern Classics)

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