La nuit a dévoré le monde( The Night Eats the World), 93min
監督:ドミニク・ロッシャー 出演:アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ゴルシフテ・ファラハニ
★★★
概要
孤独なゾンビ・アポカリプス。
短評
とっても静かなフランス製ゾンビ映画。三十郎氏のよく観るアメリカ製ゾンビ映画では、生存者──仲間を探すことを目的とするのが自明となっているように思われる。物語の方向性が簡単に決められるし、その過程でゾンビとの戦いも描けて一石二鳥というわけである。しかし、本作の主人公サムは、とりあえずの安全を確保すると一人で部屋に引きこもる。改めて考えてみると、「こっちの方が自然な行動だよな」と思わせられ、また、彼がいかにして“一人暮らしを楽しむのか”の描写も面白かった。
あらすじ
元恋人ファニー(シグリッド・ブアジズ)の家に私物のカセットを回収にやって来たサム。しかし、彼女の家はパーティー中で作業が捗らず、疲れた彼は寝落ちしてしまう。サムが目を覚まして部屋から出ると、周囲は血の海となっており、建物の外にはゾンビの大群がいた。どうやらゾンビ・アポカリプスに一人で取り残されてしまったらしいサムは、アパートの部屋を回って物資を収集し、安全を確保した上で“一人暮らし”を開始する。
感想
新生活の準備編。まずは部屋の掃除である。寝て起きたら世界が滅亡していたと判明した割には切り替えの早いことだと思うが、血まみれの部屋では生活できない。ゾンビがいようといまいと、部屋の掃除は大切である。続いて、物資回収。サム以外の住人はゾンビ化したか自殺したかなので、食料品をはじめとして必要な物を自由に持ち去ることができる(棚卸しの描写があるのが可笑しかった)。ついでに住人が自殺に使った銃も回収すれば有事に備えられる。“一人だけ生き残る”というのは、その後の生活を考えた時に(長期戦には向かないが)色々と都合のよいことが多い。
そうして準備が整うと、遂に一人暮らしが幕を開ける。ペイントガンで道行くゾンビを狙撃してみたり(“暗殺リスト”があるのが良い)、思いっきりドラムを叩いてキチゲを解放してみたり、趣味の音楽制作をしてみたりと、その生活の様子は普通に楽しそうだった。「絶対に生存者を探さなければならない」というドグマを捨て去ってしまえば、元来人付き合いが苦手な人間にとっては意外な程に快適な生活が待っている。きっと三十郎氏が同じ状況に置かれれば、リスクを冒して外に出るよりも、サムと同じように引きこもることだろう。本作の展開には大いにシンパシーを感じた。
サムが発見した死体を窓から投棄しようとするも、思い直してベッドに寝かせるシーンがある(臭いが漏れないように部屋はダクトテープで目張りする)。こういう描写も主人公への共感を促すのに一役買っていた。
このようにして一人暮らしを満喫するサムだったが、徐々に孤独を募らせていく。エレベーターに閉じ込めたゾンビのアルフレッドに話しかけてみたり、狙撃中に発見した猫を確保しようとして窮地に陥ったり、逆にゾンビの姿が見えなくなったのでドラムを叩いて呼び寄せてみたりと、徐々に“楽しい生活”が崩壊しはじめるのである。その後、サムが物音にビビって扉を撃ったらドアの向こうには生存者(ゴルシフテ・ファラハニ)が……という展開から「やっぱり一人でいたらイカれちゃう」となることで、通常のゾンビ映画と同じ行動原理を獲得するわけだが、本作はそこに辿り着くまでの過程を描いており、ある意味ではゾンビ映画の“空白”を埋め、説得力を与えてくれるものとなっていた。
本作が静かな理由はサムが引きこもっていることだけではなく、(アルフレッドに話し掛け出すまでは)ほとんど独り言を話さないという点にある。きっとアメリカ人ならいちいち独り言を呟いては状況説明してくれることだろう(そうでなくともモノローグは入れてくるはず)。この静けさは“他の音”を強調する効果を有しており、それが“不安”や“期待”といったサムの心情を雄弁に語ってくれている。
最終盤になると、“サムが騒ぎすぎたから大勢集まってきた”という理由で門の封鎖が破られている。心理的には脱出に傾いていたサムが、これにより物理的に出ていかざるを得なくなくる。ただし、ドラムを叩いて大集合させても平気だったそれまでの描写と矛盾があるような気もする。ハトを食べたりしていたようだが、食料が尽きという理由ではダメだったのか。地味過ぎてクライマックスとしては盛り上がらないが。