オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『星の王子ニューヨークへ行く2』

Coming 2 America, 108min

監督:クレイグ・ブリュワー 出演:エディ・マーフィー、 アーセニオ・ホール

★★

概要

ザムンダ王国の後継者問題。

短評

コロナの影響でAmazon独占配信に切り替えられたという約30年ぶりの続編。『ルディ・レイ・ムーア』のクレイグ・ブリュワーが監督ということで(この手の続編は失敗に終わるだろうと察しながらも)期待したのだが、残念な結果となった。前作を観た際の「もっとザムンダ国内の描写が見たい」という願いが叶ったにも関わらず笑えるところが非常に少なく、前作のキャストが時間を経て勢揃いした“同窓会”としての魅力以外に評価すべき点はなかった。劇中で皮肉られている“誰にも望まれていない続編”そのものである。

あらすじ

ザムンダ王ジョフィ・ジャファに遂に死期が訪れる。偉大な先王の死を期に隣国ネクスドリアとの関係悪化が懸念される中、先方のイジー将軍(ウェズリー・スナイプス)が政略結婚を提案してくる。娘ミカを嫁がせることを拒否するアキーム(エディ・マーフィー)だったが、彼にはアメリカに婚外子の息子がいたことが発覚する。法で定められた世継ぎとなる息子をザムンダに迎えるべく、アキームは再びセミと共にニューヨークへと飛ぶ。

感想

アキームには“娘”しかいないので、世継ぎとなる“息子”を連れてくる必要がある。この設定が出てきた時点で、現代の映画ならば最後は“娘”が世継ぎとなることは自明だろう。古い伝統に囚われて「○○できない」という弊害を打破する展開は前作にも共通しているが、価値観先行の結論ありきのために、メタな「○○できない」に枠から抜け出せなくなるという問題が発生している。

この結末を導くためには「NYでの息子探しを中心に描くも息子がザムンダに来ない」か「来るけど何だかんだあって王位を継がない」の二つの選択肢が考えられるが、本作は後者。となると、「息子が王に相応しくないと判断される」か「息子自身が王位を拒否する」の二択となるわけだが、「貧困家庭で育った黒人は王に相応しくない」という結論は描けないので、必然的に後者となる。

このように「〇〇できない」を回避することだけで紡がれたストーリーは面白みを欠く。息子ラベルがザムンダでの王位継承に違和感を抱く展開は、同国で生まれ育ったアキームですらその不自由さに気付いたのだから、クイーンズ育ちの彼に同じ事をさせても今更でしかない。むしろ描くべきはアキームが旧態依然とした人間になってしまった過程であるように思われるが、それらの“テーマ”的な部分を抜きにしても、単純に笑えるシーンが少ないことこそが本作の問題である。

前作と同じく仰々しい“起床の儀式”、アキームが婚外で“種蒔き”した経緯、モーガン・フリーマンを招聘しての豪華な生前葬。この辺りの序盤の描写は楽しいのだが、クイーンズ出身のラベルがザムンダで経験するカルチャーギャップについての描写は退屈なだけ。この“比率”も前作を踏襲したと言えなくもないが、劣化版の焼き直しと“再登場”の描写に終始するばかりで、それ以外には何もない。せっかく舞台の中心となっているのに、ザムンダの“ヘンテコぶり”が全く活きてこない。ラベルを描く分だけセミの出番は減らされ、前作で彼に似ていると思ったウェズリー・スナイプス出演の事実が最も笑えるくらいだった。

“伝統からの変化”というテーマを描く際、本作のように世継ぎ問題に現代的観点が持ち込まれることが多いように思う。『ブラックパンサー』の時にも思ったのだが、そもそもが世襲に起因する問題なのに、どうして“民主化”という結論に帰着しないのか不思議に思う。決して特権を手放そうとせず、自身の存在が問題の原因と結果の両方となっているような連中に“正義”を演じさせても滑稽なだけだろうに。“いい話”にまとまった風でも「アホくさ」としか思えない。

メジャータイトルとしてはCGがチープだったのだが、配信作品となったことでポストプロダクション費用が削られでもしたのだろうか。

王女ミカの衣装が明らかに“ジャマイカ”のカラーリングなのだが、これにはどういう意図があるのだろう。

星の王子 ニューヨークへ行く 2

星の王子 ニューヨークへ行く 2

  • 発売日: 2021/03/05
  • メディア: Prime Video