オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『星の王子ニューヨークへ行く』

Coming to America, 116min

監督:ジョン・ランディス 出演:エディ・マーフィー、アーセニオ・ホール

★★★

概要

アフリカの王子がニューヨークに花嫁を探しに行く話。

短評

本日3月5日から続編が配信開始となるため、ひとまずは復習である。エディ・マーフィーの“個人技”というよりも、“彼を取り巻く環境”で笑わせているのが印象的だった。ただし、ザムンダでの生活がバカバカし過ぎて最高に笑えるのに対して、彼がニューヨークに渡った後の“本編”の方が弱くなっているという欠点がある。エディ演じるアキームのキャラクターがあまりにも“まとも”であるために、王国生活とのギャップにすらあっさりと適応してしまい、月並みなラブストーリーに収まっていた。

あらすじ

生まれてから一度も生まれ故郷ザムンダを離れたことがない王子アキーム(エディ・マーフィー)。21才の誕生日を迎えた彼には婚約者が用意されていたが、自分一人では何一つしたことがない事実に不満を覚えたアキームは、自ら妃を探し出すことに決める。父王の(勘違いによる)快諾を得て、ニューヨークの中でも王妃候補のいそうな“クイーンズ”へと向かったアキーム。黒人集会で出会ったリサという女性に一目惚れし、彼女の父が経営する“マクドゥーウェル”というハンバーガー店に働くことにする。

感想

オーケストラ生演奏による“起床アラーム”、トイレや歯磨き、“おペニス洗い”などの身支度も召使いが担当。“花びら係”がアキームの歩く先を常に彩り、会話するのに無線が必要となる長いテーブルで食事を取る。この中世の貴族を皮肉ったかのような王室生活の滑稽さは抜群だった。父王がニューヨークに来た時にまで花びら係が随行している描写も笑えたため、正直に言って、もっと王国パートを増やしてほしかったように思う。

本作が公開された1988年には「文化の盗用」についてとやかく言われることはなかったのだろうが、最近だと『ブラックパンサー』がそうだったように、“アフリカン・アメリカン”が“アフリカン”を曲解して表現することだけは何故か自由とされているように思う。強者が弱者から搾取している構図は同じなのに。“正しさ”を装いながらも実質的には国内の椅子取りゲームの口実にしているだけなのが見え透いていて、やはりこの概念は好きになれない。

話がロマンスに移行してからは型通りの展開で大して面白くはなかったものの、「庶民の生活がしたい」と言って殺人現場の事故物件を借りたりする序盤のシーンはそこそこ面白い。このような浮世離れしているが故のギャップをもっと見せてほしかったように思う。

リサの父が「(金持ち男の)ダリルと結婚しなさい」と娘の意向を問わずに話を進めようとする旧時代的な考えの持ち主であり、金になびく人物である一方で、国王から「あんな娘」とバカにされると態度を一変させるのが面白かった。現実とプライドとの相克が見え隠れしている。最後にプライドが勝利するのがアメリカ文化なのか。

エディ・マーフィーとアーセニオ・ホール(ウェズリー・スナイプスに似ている)がそれぞれ四役を演じているのだが、『ナッティ・プロフェッサー』シリーズで徐々に数を増やしていった一人複数役芸の元祖は本作になるのだろうか。エディ演じる床屋のクラレンスが「イケてる髪型にしてくれ」と言われ、「髪型にホレる女がいるか」と返している。あんたがそれを言ったらダメだろうよ。

小さなネタの中では、“ソウル・グロー”という整髪料で大儲けしたダリルの両親がソファから立ち上がると、背もたれにべったりと痕が残っている描写が笑えた。他には地下鉄の車両内でリサに愛を語るアキームを周囲の乗客たちが無言で応援する(最後は声に出すおばちゃんもいる)場面が好きなのだが、この映画では“あるある”な描写は、現実のアメリカではどの程度“ありうる”ものなのだろう。教会の黒人集会では“ミスコン”をしているのだが、これは「こんな美女が存在するのは神がいる証拠」という論理らしい。果たして、不細工は悪魔の存在を証明するか。

ところで、どうして邦題に「星の王子」とつけられたのだろう。

星の王子ニューヨークへ行く (字幕版)

星の王子ニューヨークへ行く (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video