オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ブラッドレインII』

BloodRayne II: Deliverance, 99min

監督:ウーヴェ・ボル 出演:ナターシャ・マルテ、ザック・ウォード

概要

ハーフ・ヴァンパイアvsビリー・ザ・キッド

短評

主演も舞台も変更されたシリーズ第二作。OPクレジットでは西部開拓時代の写真が淡々と流れるのだが、ここで舞台変更の背景を一切説明せず、「今回は西部劇です」と主張するに留まっている辺りにただならぬ非凡さを感じさせるのが流石は迷匠ボルである。西部劇の世界に吸血鬼の抗争を持ち込むという斬新な発想が奏功することは一切なく、前作の興行的失敗を受けて、あらゆる面でパワーダウンしたという残念な印象だけが残った。

あらすじ

時は西部開拓時代。西部らしからぬ平和な村として知られていたデリバランスに、鉄道の開通とそれに伴う繁栄の時が近づいていた。しかし、その正体が実は吸血鬼であったビリー・ザ・キッドの一味が村を襲う。知人一家を襲われたレイン(ナターシャ・マルテ)は復讐を誓うが、逆に囚われの身となってしまう。

感想

処刑されそうになったところを命からがら逃げ出したレインが“業火の会”の仲間を集め、ビリー・ザ・キッドに再び挑むという展開である。設定に吸血鬼要素とあるだけで、展開自体は西部劇そのものなことがお分かりいただけるだろう。ボル監督も「今回は西部劇なんだ!」と強く意識していたらしく(想像)、本当に設定以外の部分のどこに吸血鬼要素があるのかよく分からなくなっているのが本作の特徴である。

最低監督と名高いボル監督ではあるが、彼に“学習能力”というものがあることが判明した。前作のアクションシーンのあまりの“もっさり感”に対する批判を受けたためか、本作ではアクションシーンそのものを大幅に減らしている。また、ヴァンパイアの特殊能力としての身体動作を表現することは諦めたのか、数少ないアクションシーンの多くは普通の西部劇かのようなガンアクションだった(それでもスローモーションの乱発だけはやめられない)。

三十郎氏は嫌いでなかったが、きっと“唐突なラブシーン”に対しても批判があったのだろう。本作ではそれがなくなっており、なんとおっぱいが出てこない。谷間の見せびらかし具合も他作品よりも大幅に低い。批判に対して真摯に対応した結果、持ち味であるはずのエログロは消え去り、そこには退屈さしか残らないのであった。更に学習を重ねたボル監督が、最終的には「監督業から引退する」と決断したのは必然と言えるだろう。

ビリー・ザ・キッド役のザック・ウォードと仲間の牧師役のマイケル・エクランドが似ていて分かりづらいという展開を経て、遂に最終決戦に突入する。村の住人たちが「俺たちも戦わないと!」と(さして盛り上がらない)胸アツ展開をやっている一方で、肝心のレインはロープを引いて耐えているだけという謎の演出だった。「これはロープを切ってしまえばよいのでは?」と誰もが思うに違いないが、レインがそれに気付くのは時間が相当に経過した後の話である。また、ビリーとの一対一の対決で物語は幕を下ろすのかと思いきや、後方からのガトリングガンによる支援でレインが勝利するというこれまた謎の演出である。ここまで徹底して“逆を突く”のは、もはや圧倒的才能とか言いようがない。流石はボル監督!

アクションシーン自体が少ないのでスタント演出のダメさ加減にもツッコみづらいのだが、それでも「これは!」と言いたくなる演出を盛り込んでくるのがボル監督の凄さである。レインが剣を投げて敵に突き刺すシーンは、下手で“ひょいっと”置きにいくようかのような勢いのない投げ方である。「これじゃ刺さらないだろう」とツッコむだけ野暮である。アクション以外にも、これから吊るされる男が「今度会ったら覚悟しとけ!」と言い遺し、「会わないだろ」とツッコまれながら死んでいくという本気なのかギャグなのか困惑させられる演出を随所にぶっ込んでくるのが印象的だった。

なお、プライムビデオでは本作も“日本語吹替と謎字幕”のバージョンで配信されている。

Bloodrayne 2 - Deliverance

Bloodrayne 2 - Deliverance

  • メディア: Prime Video