オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ゾンビ ディレクターズ・カット版』

Dawn of the Dead, 139min

監督:ジョージ・A・ロメロ 出演:ケン・フォリーゲイラン・ロス

★★★

概要

人を食う死者から逃げてショッピングモールに籠城する話。

短評

数あるゾンビ映画の中で最もアイコニックな1978年の一作。パニック、恐怖、グロテスクな人体破壊、ユーモア、そして人間同士の戦いと、今日のゾンビ映画を構成する要素が全て詰まっている。「ディレクターズ・カット」という言葉の「スタジオの介入に不満を持った監督が後年に再編集したのだろう」的な印象とは対称的に、映画祭出品に間に合わせるための粗い編集に留まっただけということもあって冗長さを感じなくもなかったが、それでもなお「これぞゾンビ映画」と言うべき魅力が詰まっていた。

あらすじ

死者が蘇って人々を襲い始める。その驚愕の事実を報道するテレビ局もまた混乱の極みに達し、放送は政府の緊急放送に取って代わられ、局員のフラニー(ゲイラン・ロス)と恋人スティーブンはヘリコプターでテレビ局を脱出する。スティーブンの友人で機動隊員のロジャーと彼の同僚ピーターも合流し、四人は当てのない空の逃避行を続けるも、発見したショッピングモールに降り立ち、そこでの籠城生活を開始する。

感想

「もしゾンビが出現したらショッピングモールに逃げ込め」という考え方がゾンビ映画ファンにとっての共通理解となっているように思われるが(『ゾンビサバイバルガイド』的には非推奨。その理由も本作を観れば分かる)、恐らくは本作がその起源なのだろう。電気あり、食料あり、ゾンビからの隔離空間ありと、正にゾンビ・アポカリプスにおける理想の環境が揃っているように思われる(果たしてシャワーは)。モール内に残っているゾンビに対処した後の生活は、言わば“砂漠のオアシス”であり、ロジャーを中心に実に楽しそうに過ごしている。平和な時間が続きすぎて流石に途中で飽きてはくるものの、緊張一色だった『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』とは対称的な“楽しさ”の要素が持ち込まれていることが本作の特徴である。

モール生活を平和足らしめているのは、モール内の豊かな物資だけでなく、“ゾンビの動きがノロい”というロメロ映画の基本原則にも理由を求められる。ピーター曰く「空間が広くて死者が分散している」ため、相手がノロマなゾンビなら対処しやすい。映画の冒頭で大混乱を引き起こし、生者の肉に食らいつく“恐怖の象徴”だったゾンビが、一体一体の個性に着目できる程度には間抜けで微笑ましい存在へと印象を変えていく。危機的状況に陥ろうとも、人間が冷静に成すべきことを成せば、事態は打開可能なのである。

しかし、つかの間の平和は二つの理由によって打ち破られる。一つ目は、「余裕」。「ゾンビとか雑魚やん、余裕よゆう」と調子に乗っていると、隙を突かれてロジャーがゾンビ化。余裕をもって対処していた時には間抜けにしか見えなかったゾンビたちが、たとえノロマであっても大群で押し寄せると人間はそれに抗しきれず、為す術なく押し倒され、腸を抉り出されていく。本作の終盤には怒涛のグロ描写攻勢が待ち受けているが、それは正にゾンビが恐怖を感じさせる存在の座へと再び舞い戻ったことを象徴している。舐めているとやられるのである。そして、人間は舐める生き物なのである。

二つ目は、「人間」。『マッドマックス』的ヒャッハー軍団に見つかってしまい、平和だったモールは混乱の局地へ。彼らが危険なこと、そして、無法状態に陥ると人間の隠し持っている凶暴性が発露しやすいこともさることながら、スティーブンの行動にも注目が集まる。自分たちは身を潜めてヒャッハー軍団とゾンビを対峙させるはずが、物資の略奪を目撃したスティーブンが、「俺たちのものなのに!」と発砲して争いに巻き込まれる。そもそもお前のものじゃないし。自分たちだって同じ事をしていたくせに。人間は欲深い。それ故に対立を免れることはできず、「本当に怖いの人間」という飽きるほどに語られ尽くした結末もまた不可避なのである。

ヒャッハー軍団がゾンビに蹂躙される際の“生きたまま腸抉り出し”の描写が改めて素晴らしい。「生きたまま食われること」と「数の力に屈すること」というゾンビの攻撃の恐ろしさにエッセンスが詰まっている。ゾンビのメイクはカラーになった分だけ安っぽさを感じるものの、この生々しさには妥協がない。また、“ゾンビの殺し方”という『ゾンビランド』でフィーチャーされた要素にも大変な見どころがあり、ヘリコプターのプロペラでゾンビの頭部が切断される演出が抜群だった。

まるでコメディ映画でも見終わったかのような印象を残すEDクレジットのBGMが印象的だったのだが、それ以外にも“謎コミカル”な描写が多い。その中でも、ゾンビに襲われる寸前のヒャッハー軍団が、何故か“血圧測定”をするという行動は完全に理解不能だった。死んだ後の「血圧ゼロ」のネタをやりたかっただけだろう。

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』でも黒人が最後まで生き残っていたが、本作も主要登場人物四人の内、白人男性二人が死に(ゾンビ化)、女性と黒人男性が生き延びている。『SF映画術』においてギレルモ・デル・トロが「ゾンビ映画はスポーツのように変化しており、ロメロ作品の重要な要素が失われている」と発言していたのが印象的だったのだが、デル・トロが自身を「標的=“よそ者”」であるゾンビの側に位置づけるように、ロメロにも同じ感覚があったのだろうか。