オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『エレクトラ』

Elektra, 96min

監督:ロブ・ボウマン 出演:ジェニファー・ガーナーゴラン・ヴィシュニック

★★

概要

女暗殺者が少女を守る話。

短評

コケたヒーロー映画のスピンオフとして制作され、当然のようにコケたヒーロー映画。いったいどういう経緯で制作されたのだろう。どこに当たる見込みがあったのだろう。『デアデビル』のスピンオフのはずが同作の要素は皆無であり、全く別の世界観が所与のものとして扱われていることに戸惑いを覚える。これが原因となって話に入り込みづらいし、割り切ったところで面白いような話でもなかった。

あらすじ

善の組織“キマグレ”のリーダーであるスティックに蘇生されたエレクトラジェニファー・ガーナー)。彼女は最強の暗殺者へと生まれ変わり、悪の組織“ザ・ハンド”との戦いを繰り広げていた。しかし、新たな任務の標的であるマークとアビー(キルステン・プラウト。現キルステン・ジエン)と、そうとは知らずに親しくなってしまい、彼らを殺せなくなってしまう。

感想

善と悪の戦いというのは定番中の定番であるものの、先にエレクトラのことを知っているのに、後から「こっちが善です」「こっちが悪です」と、それが絶対的な前提かのように言われても、世界観の変化に戸惑ってしまう。本作の公開当時(2005年)は単純な勧善懲悪の世界を信じられたのかもしれないが、現代は善悪の基準が曖昧な時代であり、背景の説明もなく「こっちが善です」では話が安っぽい。また、善人サイドのことも信用しづらいため、素直に“ヒーロー”を応援できない。

(善悪の分け方には納得していないが)アビーという少女を巡って善の組織と悪の組織が戦いを繰り広げ、最後はエレクトラとキリギで決着をつけることに。彼らは組織のトップではなく、また、代理としての決定権限も持たないのに、勝手に善悪の戦いの行方を決めてもよいのだろうか。彼らが「これで決着だ!」と思っていても、組織が別の思惑を持っていれば意味がない。

敵の一人ストーンをボブ・サップが演じていて懐かしかった(辮髪風なのが笑えた)。散弾の直撃やエレクトラの投げた釵(さい。琉球古武術の武器)を受け止める硬い皮膚の持ち主である。なお、彼は自分が倒した巨木の下敷きになって死ぬという間抜けな最期を披露している。林業従事者の事故みたいである。

他の敵は、自分のタトゥーを実体化することのできる、その名もタトゥー。三十郎氏が彼と同じ能力を持っていれば、迷うことなく金髪碧眼のセクシー美女を我が身に刻むことだろう。ラスボスのキリギはほとんど自滅する形で死ぬし、死に様の間抜けな悪の軍団だったが、ラスボスの後に生き残ってしまったタイフォイド(ナターシャ・マルテ)の片付け方は流石に雑だったと思う。それなら先に殺しとけ。

エレクトラがマーク父娘を暗殺しようとする時に使うのが、“弓”である。そして、相手が気付いてしまうのではないかと心配になるくらいには近い距離から狙っている。スコープの視野は安定していたが、エレクトラの左腕はプルプルだった。

善の組織“キマグレ”は、日本語の「気まぐれ」なのだろうか。よく分からない命名である。キリギの父が「ロシ」と呼ばれていたが、これは「老師」のことだろう。なお、ザ・ハンドの本部は、高層ビルの上層階だけが日本の城みたいになっていて、忍者的な悪の組織とは思えぬ程に悪目立ちしている。忍ぶつもりが微塵も感じられない。

しかし、本作がいくらつまらないからと言って、『ワンダーウーマン』だけが女性ヒーロー映画の先駆者として持て囃されるのは納得がいかない。同作にだって大量のツッコミどころがあるのに。確かに本作はつまらないが、ジェニファー・ガーナー(及び名も知らぬスタントウーマン)だってアクションは頑張っているではないか(片手懸垂は凄いと思う)。本作だって間違いなく女性ヒーロー映画である。監督が男なのがいけないのか。エレクトラが谷間を見せびらかして男にサービスしているのが気に食わないのか。へんてこな東洋文化に傾倒することが、勘違いでイギリスに肩入れして独軍をボコる行為より上等だとでも言うのか。

Elektra (字幕版)

Elektra (字幕版)

  • メディア: Prime Video