オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『騎士団長殺し』村上春樹

概要

シスコンの寝取られ肖像画家が元の鞘に収まる話。

感想

主人公が都合よく女とセックスし、現実と非現実とを繋ぐ空間へと行き着く。相手の言葉を繰り返す、やたらと説明的に思える記述が多い割には、何の事だかよく分からない。いつもの村上春樹な一作だった。

肖像画家の主人公が、妻から突然「離婚しましょ」と言われ、ショックを受けて旅に出る。旅を終えると、彼は著名な日本画家が住んでいた家を借りることになり、屋根裏で画家の未発表作を見つける。深夜に鈴の音を聞き、未発表作に描かれていた騎士団長と出会い、画家はイデアとメタファーを巡る旅に出る──というのが大まかな流れである。イデアとメタファー云々の方がメインなのは百も承知だが、先が気になるような物語ではなかった。と言うよりも、最終的には非現実の世界へと飛躍することが自明であるため(本書の場合は冒頭から明示されている)、現実での出来事に興味を持ちづらくなってきているのだと思う。

「なんだか分かるようでよく分からない」という迂遠さが村上春樹だと思っているのだが、本書は終盤に言わんとすることに関する直接的と思しき記述が見られた。以下はイケメンに滅法弱い浮気妻ユズの発言の引用である。

私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、でもそこで起こることのほとんどすべては、私とはカンケイのない場所で勝手に決められて、勝手に進められているのかもしれないって。

村上春樹騎士団長殺し』より

この発言の後に3.11の津波の話が出てきたり、ナチス南京大虐殺といった“歴史”の話が出てくることを考えれば、人の営みを何かより大きな流れの中に位置づけようとしていたのではないだろうか(他の言葉だと「関連性の産物」)。それがイデアやメタファーとどう繋がっているのかは理解が及ばないが、何か出来事について書くのではなく、その出来事を消化した上で排出するイメージのある村上春樹には珍しい記述だったように思う。

絵画の“創作論”のような部分は自身の執筆の方向性の変化を表現しているのかと思ったが(「未完成だけど、これが完成形」は言い訳っぽくて笑える)、これも何か“本質の捉え方と表現”の方が肝なのだろう。

妻に捨てられて肖像画家を廃業するが、妻と元鞘に収まって復業する主人公。その切っ掛けが凄い。妻が別居期間中に妊娠するものの、逆算すると「自分が淫夢を見た日と重なる」とのことで、「これは自分の子かもしれない」と。その可能性の上に人は生きていくのだと。何でも論理性で割り切ってしまうことを拒否する態度は理解できるが、ここは論理的に考えてもよいのではないかと思う。相手が受け入れなければ完全にストーカーの論理である。

村上春樹作品の主人公はモテる。相手の言葉を繰り返し、“ちゃんと聞いていますアピール”するのがモテるためのテクニックなのかと思っていたら(試したことはない)、人妻にフラれる際に「オウム返しはやめろ」と怒られていた。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2017/02/24
  • メディア: 単行本
 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2017/02/24
  • メディア: 単行本