オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ペパーミント・キャンディー』

박하사탕(Peppermint Candy), 130min

監督:イ・チャンドン 出演:ソル・ギョングムン・ソリ

★★★

概要

どこかで道を間違えた男の半生。

短評

「どうしてこうなった?」な韓国映画。自殺を決意するまでにドン底に落ちた男の半生を、自殺を起点にして時間軸を遡る形で描いている。そこには様々な個人的事情もあるのだが、やはり社会変動こそが大きなターニングポイントになっていると終盤に分かる。序盤(=人生終盤)の主人公はどうしようもないクズ男にしか見えないが、終盤(=人生中盤)の彼は花を愛する心優しい男である。その彼の“どうしてこうなってしまったのか”が、社会の大きな波に飲み込まれた不可避のものであったことを知ると、なんとも切ない気持ちになる。

あらすじ

1999年、春。同窓会のピクニック会場に事前に連絡もせず場違いなスーツ姿で現れて 、一人荒れ狂う男がいた。彼の名はキム・ヨンホ。一人を除く参加者がヨンホを無視して楽しむ中、彼は「戻りたい!」と絶叫して列車に突っ込む。遡ること3日、銃を購入し、自殺の前に恨みを持つ相手を道連れにしようと考えていたヨンホの前に一人の男が現れる。男はユン・スニムの夫だと名乗り、病床の妻がヨンホに会いたいと言っていると語る。ヨンホはペパーミント・キャンディーを手土産に病院へと向かうが……。

感想

1999年──ヨンホは妻子に逃げられた無職。ユン・スニム(ムン・ソリ)に会いに行くも意識不明で、3日後に(呼ばれてない)同窓会の会場で自殺。1994年──ヨンホは社長。妻の浮気現場に乗り込んで間男を成敗し、車で待機させておいた事務員(ソ・ジョン)とカーセックス。1987年──ヨンホは刑事。壮絶な拷問により容疑者の所在を突き止め、待機中にバーの店員(コ・ソヒ)と交わる。1984年──ヨンホは新米刑事。後の妻ホンジャ(キム・ヨジン)と出会い、会いに来てくれたスニムを邪険に扱う。1980年──ヨンホは兵役中。光州事件のデモ隊を鎮圧中に誤って女子高生を射殺。1979年──ヨンホはスニムと出会い、「花を撮るカメラマンになりたい」と夢を語る。

ヨンホの人生には色々なことがあったが、間違いの始まりは光州事件であったことが明らかとなる物語である。各章の前に鉄道の映像が挿入されているように、人生は不可逆であり、一度通過したレールの先を死ぬまで走り続けるより他にない。誤射で心に大きな傷を負ったヨンホは、その後の人生で大切な何かを一つずつ失っていき、最後に“最も美しい記憶”だった初恋の相手スニムを失うことで、何も残されていない状態に陥ってしまう。

どこかで道を間違えた人が「どうしてこうなった?」を考えることは、「もし、あの時こうしていれば……」のifを考えることと同義と言ってもよいだろう。線路で言えば「分岐」である。監督の意図が光州事件元凶説にあるならば、当然、1980年の線路の映像に分岐路が出てくるはずなのだが、そこには単線しかない。分岐が出てくるのは、ヨンホがすっかり暴力刑事に身を落としてしまった後の1987年の章だけなのである。果たして、これをどう考えたものか。どちらかと言えば、1984年の新米刑事時代に初めての拷問(相手は脱糞)を経験する場面の方が心境の変化が大きそうだと思ったのだが。

1987年の出来事で重要となるのは、バーの店員との情事なのだろう。ヨンホは彼女にスニムへの初恋を語り、女は「今夜は私がスニムになってあげる」と話す。そして、二人は交わり、共に泣く。1984年にヨンホがスニムを邪険にし、ホンジャと結婚したのは、JK誤射事件以前の優しい自分を期待されることに耐えられなかったためだろう。恐らくホンジャを本気で愛したわけではなく、自分を慕う彼女をスニムへの当て付けに使ったようなところがある。きっとバー店員は、スニムの後に現れた女としては初めて心を許せた相手であり、翌日の約束が守られていれば、何か違った人生を歩む可能性もあったのではないだろうか。なお、バーでのシーンは距離感の近い店員がとても色っぽく、あれは一発で落ちると思った。

“後から理由の分かる“描写の使い方が上手かった。たとえば、1987年に未成年店員を脅すかのような態度を取っている時にはてっきりアレする目的があるのかと思ったが(この時点では妻の浮気を糾弾した直後に浮気するクソ男のイメージしかない)、未成年者が被りうる危険に対して敏感だったことが分かる。すっかり怖い刑事になってしまった後ですらそうだという事実が、事件の影響の大きさを物語っている。他にも「カメラ」の使い方が印象的だった。一度目はプレゼントされるも別れ際に返却され、二度目は即座に売却されと、すれ違うヨンホとスニムの関係を象徴しているかのようだった。