オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『羆嵐』吉村昭

概要

北海道の開拓村が巨大羆に襲われる話。

感想

とっても怖いクマの話。やはりティモシー・トレッドウェルは間違っている。クマは恐ろしい生き物なのである。ある日、森の中で、お嬢さんが出会ったら大変なことになってしまう。というくらいには怖い話だった。

三毛別羆事件をモデルした作品とのことである。本作では銀四郎無双とでも言うべきヒーローの活躍が描かれているため、「実話を基にした」程度の半フィクションなのだと思っていたら、山本兵吉というモデルが実在するのだとか。最も“物語的”だった点が実話準拠ということは、惨劇の内容もほぼ実話だったと思ってよいわけか。改めて身も凍るような思いである。

ヒグマの恐ろしさが端的に現れているのは、人間が自信を喪失する描写にこそあるだろう。「ヒグマに人が殺されたらしい」と聞いてとりあえずビビるものの、「銃が五丁に得物を持った屈強な男たち!これで勝つる!」と立ち向かう地元民。ところが、手入れ不足の銃は肝心な時に不発で、男たちはヒグマの実物を見ると散り散りに逃げ出すだけ。この「行けるぞ!」からの「無理」が繰り返される物語なのである。

「火を焚いて音を鳴らしておけばヒグマは近づくまい」→殺される。「人数が増えた!これでいける!」→皆役立たず。「最新の銃を持った警察隊が来てくれた!今度こそ!」→地元民と同じくヒグマの前には無力。といった具合に、あらゆる心の支えが打ち砕かれていく。単にヒグマの圧倒的な“強さ”が怖いだけでなく、そこに立ち向かっていくために必要な希望が消えていくのである。

そこに現れるヒグマハンターの山岡銀四郎。「餅は餅屋」とばかりに彼がヒグマを単身で退治してくれるのだが(『レヴェナント』で学んだ通りにクマは一発で仕留められず、心臓→頭の順で二発撃っていた)、その後日談が面白い。粗暴な酒乱として知られていた銀四郎は、いよいよ崖っぷちになるまでは“関わりたくない男”として避けられていた。それが狩りの時の彼は真面目そのものであり、退治後は“英雄”として歓迎される。これが銀四郎は気に食わない。

七人の侍』では島田勘兵衛が「勝ったのはあの百姓たちだ。儂たちではない」と戦いを振り返りながらも、百姓たちを責めるようなことはしなかった。しかし、銀四郎は「本当に感謝してるなら有り金を全部寄越しやがれ!」と激怒する。高潔な侍たちと態度が違うからと言って銀四郎を責めることはできまい。同じ状況なら誰だって言いたくなるに違いない。住民から被害者が出て、それ以外の者も恐ろしい思いをしたとは言え、“事件”が終わって浮かれていれば、命を賭して戦った身からすれば「いい気なもんだ!」という気分にもなるだろう。

全長2.7m、体重383kgのヒグマが最初に食べたのは、色白巨乳の人妻である。それ以来、クマは女の体ばかりを求めるようになり、女の匂いがするものに見境なく噛み付くという性欲の権化のような状態となっている。“骨を噛み砕く音”の描写も怖かったが、女の匂いがするとあらば石まで噛み砕いてしまうのだから、その顎の強さが尋常ではないことが窺える。クマの胃や便の内容物の描写も怖かった。

本作は1980年にテレビドラマ化されている。少し観てみたいような気もするが、技術的にクマをリアルに描くのは難しいような気もする。対決のシーン以外はある程度“ボカシて”描けるだろうが、それだと“正体が分かるとガッカリ”なタイプになる気がしなくもない。

羆嵐(新潮文庫)

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