オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『グリズリーマン』

Grizzly Man, 104min

監督:ヴェルナー・ヘルツォーク 出演:ティモシー・トレッドウェル、ヴェルナー・ヘルツォーク

★★★

概要

クマになりたかった男の話。

短評

アラスカで13年間に渡ってグリズリーの保護活動に従事しながら、最後はグリズリーに食べられて命を落とした男ティモシー・トレッドウェル。本作は彼が生前に残した記録映像と死後の関係者へのインタビューとで構成されたドキュメンタリー映画である。一見するとトレッドウェルの死は悲劇的なようだが、劇中で指摘があるように彼は明らかに“アレな人”であり、その死についても「自業自得」という言葉が相応しい。ヘルツォークが“映画監督として”彼を擁護するような「映画スタッフには撮れない名シーン」の素晴らしさを感じることはなかったが、情熱と狂気が入り混じった奇妙な人間の生き様は見応えがあった。

あらすじ

中流階級の家庭で育ち、大学に進むも、そこで道を誤ったティモシー・トレッドウェル。アルコール依存症に陥った彼がグリズリーと出会い、以後、13年間に渡ってアラスカで保護活動を続けることとなる。夢中でグリズリーを愛するトレッドウェルだったが、その活動内容は人間とクマとの境界線を踏み越えるものであり、最後はクマに食べられることになる。

感想

野生のグリズリーである。グリズリーと言えば、映画『レヴェナント』でディカプリオが死闘を繰り広げた“デカくて強いクマ”であり、はっきり言って「超」のつく危険動物である。出会えば思わず死を覚悟するだろう。トレッドウェルは、そのグリズリーに対して臆することなく近づき、触り、仲間として絆を築いていく……のだが、そう思っていたのは彼一人だけという話である。

遺体回収に協力したヘリのパイロット曰く「自然を勘違いしている」「自業自得」と、アラスカ先住民の博士曰く「人間とクマとの間にある境界線を無視していて敬意を欠いている」と、関係者も友人や元恋人以外だと辛辣なコメントが続く。また、クマ研究者曰く「アラスカのグリズリーの生息数は真っ当な水準」とのことで、トレッドウェルがクマを愛していたと言っても、彼の“保護活動”が単なる自己満足に過ぎなかったことが分かる。

クマの頭数維持に問題にならない程度の狩猟者に対して敵意を剥き出しにし(「自分に対する脅迫だ」と語る姿は完全に統失患者のそれ)、公園管理局の定めた安全のためのルールを破る。その上、クマの共食いといった“自然界のルール”を「間違っている」と言い切り、自然環境に干渉する。トレッドウェルはクマやアラスカに対して「僕の~」と発言することが多いのだが、彼がいかに独り善がりな人間であったのかが象徴されているだろう。他にも、クマではなく自分を主役に据えた映画を撮り始める場面があったりして、彼の歪んだ自己顕示欲に薄ら寒い思いする瞬間が多い(甲高い早口で同じ言葉を繰り返し発するのも病的に感じる)。

周囲の人々が「彼はクマになりたかったのだろう」と語っているように、トレッドウェルが人間の世界に生きづらさを感じていたことは間違いない。その“逃避先”がクマだったというわけである。自然と調和した生き方を称える人は多いが、上述の通り、彼は自然界では当然の出来事であっても、自分に都合が悪ければ「こんなの間違っている」と決めつける男である。自然界の一部になろうとした人間が、そのルールに従って食物連鎖の和に加わったのならば本望だろうが、彼は自分に都合の良い“別の世界”を探していただけのように思えた。そこには「皮肉」の要素が強く出ていたと思う。我々人間は、どこまでいっても人間であることからは逃れられないのだから。

トレッドウェルの残した映像だが、当時としては貴重なものも多かったのかもしれないが、現代の水準だと手ブレも酷いし画質も悪い。はっきり言って、クマが見たいだけなら近年のネイチャードキュメンタリーの方がよっぽど高品質である(キツネだって餌付けして人間慣れしただけだろう)。その特異性は、自らクマに近付いて触れることにあるのだろうが、結末からも分かる通り、それは決して賞賛されるべき行動ではない。彼の姿を見て「クマと人間の間に絆が芽生えた」と考えるのは大きな間違いなのである。映像から受ける印象、トレッドウェルの語る内容、そして結果という事実。それらのすれ違いこそが、自然界と人間界との隔絶を浮き彫りにしているように感じられた。

グリズリーマン (Grizzly Man)

グリズリーマン (Grizzly Man)

  • メディア: Prime Video