オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『アイム・ユア・ウーマン』

I'm Your Woman, 120min

監督:ジュリア・ハート 出演:レイチェル・ブロズナハン、アリンゼ・ケニ

★★

概要

母と息子の逃亡生活。

短評

Amazon Studios配給の一作(Amazon Original作品であっても制作は別らしい)。犯罪組織に追われることになった母親が赤ん坊を連れて逃げるというよくある話である。主人公が新米ママ故に逃亡よりも子育てに戸惑うという構図は面白かったものの、実母でないという設定からの母性の獲得には飛躍があったし、なにより潜伏期間の長い逃亡劇がスリリングでなかった。「夫による庇護と支配が同時に消えた」という男性優位社会から脱却に通ずる現代的モチーフに重心を置き過ぎており、淡々とした展開からの終盤の映画的な盛り上げも浮いてしまっていたように思う。

あらすじ

子宝に恵まれなかったエディとジーン(レイチェル・ブロズナハン)の夫婦。ある日、エディが「俺たちの子だ」と言って一人の赤ん坊を連れて帰る。その場で詳細を聞かされることもなく、戸惑いつつも子育てを始めるジーンだったが、ある夜、エディの仲間がやって来て「まずいことになったから逃げろ」と言う。カルという男の手引きにより、ハリーと名付けた赤ん坊と逃げるジーンだったが、すぐそこまで追手が迫っていた。

感想

夫エディが泥棒稼業に従事していると序盤に明かされるため、赤ん坊もどこかで盗んできたのではないかと思ったが、肝心のジーンがその出どころを問いたださない。恐らく、それがこの夫婦の関係性ということになるのだろう。ジーンは卵の黄身を潰さずに目玉焼きを作ることもできず(そんな自分にキレて卵を投げるシーンは笑った)、子供を産むことのできない身体の持ち主だが、専業主婦として悠々自適の生活を送っている。その生活は夫の犯罪行為があってこそのものなので、「詳しいことは聞かない」という状況を受け入れているのである。

子供を産めず、夫の犯罪歴故に養子を貰うこともできなかったジーンの元に、降って湧いたように現れた赤ん坊ハリー。すると、仕事でトラブった夫が消えて、二重の意味で今までの生活が失われることになる。悠々自適で楽勝な専業主婦は続けられないが、子を持つことを切に望みながらも叶わない生活も終わりを告げる。そんな“夫不在の世界”にジーンが順応していく過程としての逃亡生活だったかと思う。

導入部で物語を引っ張るのは二つの謎である。一つ目は、「赤ん坊は一体どこからやって来たのか」というもの。いきなり夫が連れ帰って説明もないとあれば、観客としては気になって当然だろう。二つ目は、「夫に何があったのか」というもの。そもそもどうしてこんな事態に陥っているのかを気にするのも当然である。しかし、前者についてはジーンが中盤に「中絶しようとしていた女からエディがもらってきてウィンウィン」と雑に説明するだけで(冒頭の質問できない関係性は何だったのか)、後者も単なる舞台設定としての役割しか果たしていない。“突如として今までとは違う環境に放り込まれた女”という描きたいモチーフばかりが先行しており、それを“見せる”ためのストーリー構成が弱くなっていた。

第一の隠れ家に出現する近所のおばさんエヴリン。「誰が刺客なのか分からない」という緊迫した状況を表現するためのキャラクターだったかとは思うが、少々ミスリードが過ぎたように思う。あの演出で“単なる親切なご近所さん”というのは逆に不自然だろう。あの状況で彼女を家に上げてしまうジーンには問題があると思うが、刺客によって拘束されていたということは、 果たして彼女は“送り込まれた”のだろうか。そうでないと刺客がエヴリンの家にいるのは不自然だが、逆にそうだとなんのために食事だけして帰ったのかという話になる(所在は一度目の訪問で確認済みだし)。なお、エヴリン宅で刺客に囲まれたジーンがハリーを揺すってあやす場面が、逃亡と育児のギャップの表現としては本作で一番だった。

この手の物語の場合、「自分の命を賭してでも赤ん坊を守り抜く」という流れが一般的かと思うが、ハリーをカルの父アートと息子ポールに預けて外出している時間も長く、最も重要な存在としては扱われていなかった印象である。結局はジーンの自立を促すための“アイテム”でしかなかった。それなのに、カルの「赤ん坊が笑っているなら大丈夫」の言葉の通りに笑顔を見せて、「それでOK」としてしまう演出はズルいと思う。

アイム・ユア・ウーマン

アイム・ユア・ウーマン

  • 発売日: 2020/12/11
  • メディア: Prime Video