オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『惨殺の女神』ジョン・ソール

Comes the Blind Fury/John Saul

概要

新居に引っ越した少女が悪霊に取り憑かれる話。

感想

“曰く付きの新居”という定番シチュエーションのホラー小説。明らかに“悪霊”の話ではあるのだが、霊の存在を前提としないサイコスリラーとしても読めるようになっている。“取り憑かれた”という状況を引き起こす背景がしっかりと描写されており(ホラーとして怖がらせるよりもこちらが中心かと思う)、また、そこから導かれる結末はあまりに救いがなく、なんとも後味の悪い一冊となっていた。

ボストンからパラダイス岬に引っ越してきたペンドルトン一家の娘ミシェルが新居で人形を見つけるのだが、それを切っ掛けに彼女は、かつてこの地で死んだ少女の霊に魅入られるようになる──という話である。

このミシェルは“養女”なのだが、両親に“娘”が生まれたことから風向きが怪しくなっていく。それは一家にとって幸せなことだったはずなのに、子供ならでは残酷さ──「あんたは養女なんでしょ。本当の子供が生まれた用済みよ」なんて言われるものだからミシェルの中で疑念が生まれ、そこに悪霊がつけ込む。ミシェルの周囲では悪霊のせいで不可思議な出来事が起こるようになるものだから、両親の心が本当に彼女から離れていく。悪循環である。アマンダという非業の死を遂げた少女の霊が関係してはいるものの、ミシェルの心が壊れただけに思えなくもない状況設定が説得力を持っているという気味の悪さである。

この状況だと、両親──特に父親カルヴィンの対応が酷すぎるように思えるのだが、医療過誤で少年を死なせてしまったトラウマが彼を狂わせる。一家の引っ越しの理由となったこの医療過誤も、少女の霊が関係しているとも単なる偶然とも言い切れないところがあり、とても静かに翻弄されている印象を受けた。事情を知っていながら診療所と家を売りつけたカースンはどうかと思うが。

ミシェルへの愛を貫こうとする母ジューンも、郊外ならでは狭い人間関係に追い詰められていく。「ボストンでは人の顔と名前も覚えない」なんてお決まりの都会批判・田舎礼賛をしていたのに。このように“悪霊の仕業”ではない前提条件がしっかりと揃っているため、「これは霊がいなくても……」と思わせられ、超常現象に現実感を持たせることに成功していた。