オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『オーデュボンの祈り』伊坂幸太郎

概要

喋るカカシ殺害事件。

感想

森見登美彦をつくった100作』のNo.59。登美彦氏は本書を次のように紹介している。

伊坂幸太郎さんの作品についても、敢えてデビュー作を挙げておきます。ちょうど私がデビューする前後、伊坂さんブレイクして脚光を浴びていたことを覚えています。伊坂さんの小説に対する姿勢や、文章へのこだわりには共感するところが多々ありました。恩田陸さんと伊坂幸太郎さんの活躍を見て、自分の「書きたいものは間違っていない」、という自信を得たような気がします。 

河出書房新社編集部『総特集 森見登美彦: 作家は机上で冒険する!』より

「目が痛くなった」とプログラマーの仕事を辞めた伊藤がコンビニ強盗を働き、中学時代の邪悪な同級生・城山に逮捕、連行されていたところで事故が起こる。その混乱に乗じて逃げ出した伊藤は轟という熊みたいな男に「荻島」に連れて行かれるが、そこには“喋るカカシ”の「優午」がいた。ところが、そのカカシが殺さてしまう──という話である。

神のように全てを見通し、人間にように喋るカカシという存在は、「まあ、そういう話なんだろう」という程度に受け入れることができる。確かに奇妙奇天烈な設定ではあるものの、わざわざそこで引っ掛かっていても疲れるだけである。「これは一種のファンタジーなんだな」ということにしておいた方が都合がよい。

そんなファンタジーな舞台で一応の“ミステリー”が繰り広げられるわけだが、謎解きよりも隠喩めいた物語としての性格が強かったように思う。サラリーマン生活に疲れた著者が虚構の世界に何かを求めているかのような。しかし、主人公が脈略もなく「音楽とのふれあい」と言い出してみたりと不自然な描写も多く見られ、これが村上春樹ほどは文章自体に魅力があるわけでもないため、少々鼻についてイマイチ入り込めなかった。喋るカカシという設定と同じく、「ふーん」と読み流してしまった。

巻末に掲載されている「第五回新潮ミステリー倶楽部賞・選評」の中で乃南アサが「主人公が仙台に置きっぱなしにしてきている現実が、もっとリアリティを持ってバランス良く描けていて欲しかった」と指摘しているように、サイコパス城山の描写は非常に陳腐であり、荻島という土地の特異性を浮かび上がらせることには失敗していたように思う。本土と島とでは異なるルールが存在するという結末についても容易に想像がつくため、城山を恐怖の権化のように扱った割には緊迫感に欠けていた。

この選評がなかなか面白かった。一般に文庫本の巻末に載っているような「解説」というものは、“褒めるのが仕事”である。一方、プロの作家たちによる辛辣な選評には遠慮の欠片もなく、ズバズバと欠点を指摘している。三十郎氏による「自分の好みには合わないなぁ」レベルの幼稚な感想とは異なり、作家にとって痛いところを突いていると思う。

伊坂幸太郎作品は初めてだったのだが、他の作品も読んでみようとは思えなかった。映画化作品も多い人気作家なので何かしらの魅力はあるのだろうが。

オーデュボンの祈り(新潮文庫)

オーデュボンの祈り(新潮文庫)