オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『Iの悲劇』米澤穂信

概要

Iターン移住者が去っていく話。

感想

無人化した集落の再生を目指すIターン支援事業を巡るミステリー。プロジェクトに取り組む“甦り課”のメンバーは、中堅公務員の万願寺、上司の西野課長、新人の観山の三人である(米澤穂信は珍しい名字を使うのが好きなようだが、何か理由があるのか)。主人公かつ語り手の万願寺が“探偵っぽい”ことをして、観山が助手役っぽいのに、西野が“安楽椅子探偵”として美味しいところを持っていく。その構図がそのままオチに繋がっているのが楽しかった。終章のタイトルが『Iの喜劇』なのだが、その通りにブラック・ユーモアに満ちたオチだったと思う。

合併により生まれた“南はかま市”の“簑石”地区に集まった12世帯のIターン移住者たち(「Iターン」って全く「ターン」してない。和製英語はどうしてこんなにも雑なのだろう)。失火、鯉泥棒、子供の行方不明、食中毒、仏像盗難と様々な“事件”が起こる。プロジェクトを成功させるべく奮闘する万願寺とは裏腹に、一人、また一人と集落を去っていく。

本作は、いわゆる“イヤミス”と呼ばれるジャンルなのだと思う。“事件が解決してスッキリしたはずなのにモヤモヤする”ミステリーのことである。個々の事件には“理想と現実の乖離”や“ご近所トラブル”といった移住の難しさが反映されていて、確かに後味は悪い。しかし、三十郎氏は「モヤモヤさせているはずなのにスッキリした」という感想を抱いた。

大オチを書いてしまうと、万願寺以外の関係者は“プロジェクトの失敗を望んでいた”というものである。辺境の限界集落に多少の移住者が集まってもインフラの維持コストが嵩むだけなので、「なるべく自然な形で失敗させてしまおう」と。移住者が誰もいなくなり、プロジェクトは見事“成功”に終わる。一人だけ裏の目的を知らずに頑張っていた万願寺にとってはやるせない結末なのだが、“やる気のない上司”と“仕事の雑な新人”に挟まれていると思っている自己評価の高い男が空回りしていただけなんて滑稽ではないか。

移住者たちにとって酷な仕打ちであるという点については疑いの余地がないものの、ある意味では「こうなってよかった」とすら思える。三十郎氏はコンパクトシティ政策の支持者なのである。人には好きな場所に住む自由があるが、全ての地域を支える財政的余裕は存在しない。政府が保証すべき“最低限度”は、“その場所にそのまま住み続けられるようにする”ことではなく、“住宅・就職等のスムーズな移住支援”だと考える。首都圏以外の地方都市には土地が余っているのに、限界集落の再生なんて無駄なことをしている場合ではない。こうした政策選好の前提があるため、モヤモヤではなくスッキリなのだ。

個々の謎解きについては、サクッと読めて納得感も高い。日常レベルの謎がしっかりと筋道立てて説明される爽快感もある。この“読みやすさ”は、米澤作品の非常に好きな部分である。また、最終的には哀れなピエロだった万願寺だったが、彼の公務員として“求められる事”と“できる事”のアンバランス感が面白く、地方公務員の悲哀ものとしても読み応えがあった。

Iの悲劇

Iの悲劇