オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』

Borat Subsequent Moviefilm: Delivery of Prodigious Bribe to American Regime for Make Benefit Once Glorious Nation of Kazakhstan, 96min

監督:ジェイソン・ウォリナー 出演:サシャ・バロン・コーエン、マリア・バカロヴァ

★★★

概要

衰退したカザフスタンが偉大に復活したアメリカに貢ぎ物で取り入ろうとする話。

短評

14年ぶりに帰ってきたボラット・サグディエフ。長い長いタイトルの『ボラット2』である。本作はAmazon Originalの配信作品なのだが、「このタイミングでぶっこんできたな」という印象である。序盤に自己言及がある通り、既に有名になってしまったボラットに対するアメリカ市民の反応がどこまで本物なのかは不明だが(そのため別の変装をしているシーンが多い)、少なくとも撮影に協力するとは思えない政治家が出てくる場面は“ガチ”なのだろう。普段リベラルがコケにしている保守層よりもヤバい男と彼らを共鳴させることで生まれる笑いが秀逸だった。

あらすじ

前作の大ヒットにより祖国カザフスタンの名誉を貶め、終身刑に処せられたボラット・サグディエフ(サシャ・バロン・コーエン)。それから14年後、強制労働に従事する彼に大統領から声が掛かる。彼の刑務所暮らしの間にアメリカは邪悪な大統領──バラク・オバマに乗っ取られてメチャクチャになっており、再び偉大なアメリカを復活させたマクドナルド・トランプと、彼と仲の良い“いかついリーダーたち”に仲間入りしたいのだとか。そこで、ボラットは貨物船でアメリカへと渡り、副大統領のマイケル・ペニスにカザフスタン文化大臣のサル・ジョニーを贈ろうとするのだった。そして、世界を襲うパンデミックの真相が明らかとなる。

感想

サルのジョニーが入っているはずの箱にボラットの娘のトゥーター(マリア・バカロヴァ)が入っていて、彼女を代わりの貢ぎ物にしようとする話である。インスタグラマー(メイシー・シャネル)の指導により“シュガーベイビー”に変身し、(ペンスが演説する集会からは追い出されたので)ジュリアーニ好みの巨乳に整形しようとする。トゥーターが父の教えのウソに気付いて一度は離反するものの、最後には父のためにジュリアーニの元へ、という感動的な流れである。

KKKの衣装で共和党大会の会場に入り、トイレでトランプに変装。そして、演説中のペンスに「マイケル・ペニス!貢ぎ物がある!」と叫んで追い出される。ボラットに“トランプを支持させることで逆に貶す”というスタイルなので、共和党側が許可を出しているはずはないと思うのだが、KKKの時点で止められないのが不思議である。共和党的にセーフなのか。それとも見逃されただけなのか(それはそれで警備体制が……)。トゥーターのストッキングが破れていたので、会場に入る前にもひと悶着あったのかもしれない。ペンスがダメなら誰が……という流れでジュリアーニが出てくる前に、「トランプの他の友達は皆逮捕されてる」というネタを挟むのが可笑しかった。

ニュースになっていたジュリアーニがズボンに手を突っ込むシーンだが、シャツを脱がせたのはトゥーターで(ピンマイクを外す動作に見える)、氏は主張通りにシャツを戻そうとしているだけのようにも見えた(ついでにちんポジくらい直すだろう)。ズボンよりもベッド脇で腰に手を回す動作の方がセクハラっぽかったのだが(そもそも取材中の二人がベッドルームに移動するものなのか)、あまり話題にならない辺り、アメリカでは通常のスキンシップの範疇なのか。トゥーターによるインタビューでジュリアーニが「民主党だったら(コロナ被害が)もっと酷いことになってた」と発言しているのだが、どこの国も変わらないのだな。

女は小動物並の知能しか持たないため、家畜として扱うのがカザフスタン・スタイルである。トゥーターは金持ちの老人に嫁ぎ、立派な“檻”で暮らすことに憧れている。しかし、自身の股間(ヴァジン)を触ると吸い込まれるという“本当の話”がウソだと知り(自分で触って判明)、父から離れる。ボラットも「娘を貢ぎ物にするのはやめよう」とジュリアーニとのインタビュー現場に乗り込む展開である(ピンクのランジェリーの下に白ブリーフを履いていたのは逃げか。それとも法令遵守か)。この離反時のホロコーストを巡る描写(ポストトゥルースの「ホロコーストなんてなかった」で悲しみ、ホロコースト生存者と会って喜ぶ)が可笑しかった。

主にコロナへの対応を巡っては保守層とボラットの意見を共鳴させることで彼らが“いかに変なのか”を強調しているのだが、“遅れているはず”の保守層ですら先進的になる場面があるのが可笑しかった。「コロナよりも民主党員の方が危険」と喜んでいた男たちも、ボラットの前では「民主党員にも権利はある」「女にも男と同じ脳ミソがあって何でもできる」と戸惑うのである。トゥーターに「ヴァジンには吸い込まれません!気持ちいいので皆で触りましょう!」とスピーチされた共和党の女性集会参加者たちが「ここではそういう話はしない」と戸惑っていたが、民主党系の集会に乗り込んで、“先進的”な人々に“超先進的”な意見をぶつけた時のリアクションも見てみたかった気がする。

どこまでがガチで、どこからがヤラセなのか分かりづらい一作なのだが、ボラットがカントリー歌手として反ロックダウン抗議集会に乗り込むシーンは本物っぽい。「オバマは裏切り者、武漢ウィルスを注射しろ」「ジャーナリストはサウジ人のようにみじん切りにしろ」というボラットたちが書いた歌詞を皆で楽しそうに歌っていて、最も作為性の薄い“素”が垣間見えたシーンだった。

そして明かされるパンデミックの真実。トム・ハンクス出演のサービス付きの愉快なオチだった。大統領選に合わせて制作したのは容易に想像できるものの、全体の構想はコロナ以降だったのだろうか。それでも突貫制作すれば……と思う程度には長引いているが、製作途中に事情が変わってオチを変更した可能性の方が高いか。“ユダヤ人追い祭り”改め“アメリカ人追い祭り”に登場する「カレン」は、特定の女性がモデルなのではなく、暴走する白人女性に対する総称なのだとか。カレンさんには迷惑な話だな。自分を正義だと思っている人が自己の行為を客観視できていない好例だと思う。