オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『若草物語』ルイーザ・メイ・オルコット

Little Women/Louisa May Alcott

概要

マーチ家の四姉妹。

感想

グレタ・ガーウィグ版の配信が始まっていたため、予習がてらと思って読んでみたのだが(映画・アニメ他のメディアで触れたことがなかった)、逆に興味を失う結果となった。心情描写については面白い箇所があったものの、あまりにも“道徳的”過ぎて説教臭く、何と言うか……“ピューリタニズムのゴリ押し”である。また、“貧しくも心豊かに生きる”というコンセプトに反して、「お前ら、金持ちだろ」と思わされる部分が多く、鼻白んだ。

長女メグ(マーガレット)、次女ジョー(ジョセフィーン)、三女ベス(エリザベス)、四女エイミーのマーチ家四姉妹。父が従軍牧師として南北戦争へ行き、母と家政婦ハンナの6人で暮らす様子が描かれている。ガーウィグ版の演者と年齢が離れすぎていやしないかと思ったのだが(20代がハイティーンを演じるのはともかく、ローティーンは流石に無理があるだろう)、どうも映画は続編の方に焦点が当たっているらしい。「原作も読んだし、いざ!」と逸る気持ちが生じることはなかったわけだが、シアーシャ・ローナンが好きなのでセール価格になったら観よう。

物語は、クリスマスから次のクリスマスまでの1年間における父のいない生活を通じて、姉妹の成長を描いている。その指針となるのが、『天路歴程』という寓意小説や母からプレゼントされる聖書であり、“成長”の価値観自体が完全に清教徒のそれに基づいているわけである。そこには普遍的だと感じられる部分もあるものの、宗教要素が前面に出ているため、「あ、信者の教育用の本なのね……」の一歩引いてしまった。

質素な生活や勤勉をモットーとするカルヴァン主義だが、姉妹の悩みは「パーティーに着ていくドレスがない」といったもの。そもそも家政婦を雇う余裕があり、食べるものに困ることもない。どうせなんだかんだでマーチ伯母さんの遺産だって転がり込んでくるのだろう。フンメル家の窮状を知っているはずのマーチ家が、「自分たちは貧乏」だと言っていても嫌味にしか聞こえない。お前らはめちゃくちゃ恵まれているだろうに。フンメル家の赤ん坊が猩紅熱で命を落とした際には「金がないから医者に見せるのが遅れた」というただならぬ理由が示されているのに、「他の子供はタダで診てもらえたからオッケー」とサラッと流され、病気を貰ってきたベスにばかり焦点が当たっている。善行としての“施し”をし、自己中なエイミーが他者のことを考えられるようになったと褒めておきながら、主要人物以外の存在を無視した話である。

また、“勤勉”についても「働かずにダラダラしていると生活にリズムが出ないわ」的な理由で“選択”されている。労働者の多くが“働かざるを得ない者”を鑑みれば、彼女たちの勤労は“金持ちの道楽”に思える。しかし、ここで興味深いのが、本作が女性の自主独立に大きな影響を与えた物語であるという点。つまり、「女性も家庭の外に出て働き、自立しましょう」という考えは、ピューリタン的な勤勉の価値観に源流があると推察されるのである。フェミニズムが“社会進出”という方向性を獲得した理由がなんとなく分かったような気がしたものの、これも“社会進出せざるを得ない者”からすれば道楽か。当然の話ではあるが、性別という属性だけ一括りにはできない分断が女性の間にも存在するのだろう。「労働」や「社会進出」という言葉の持つ意味があまりに異なる。

本作が“持てる者”のための物語なのは、“小説の読者層”が限定されていた事情とも関係があるのだろうか。普及自体は活版印刷の開発によるのだろうが、識字率の向上と共に大衆の娯楽となったのはいつ頃なのだろう。

ちなみに、1906年の北田秋圃による『小婦人』が最初の日本語訳なのだが、1933年の映画版以降『若草物語』のタイトルに統一されたそうである。

若草物語 (光文社古典新訳文庫)

若草物語 (光文社古典新訳文庫)