Catwoman, 104min
他:ラジー賞最低作品賞、最低監督賞、最低脚本賞(テレサ・レベック他)、最低主演女優賞
★★
概要
短評
ラジー賞四冠に輝いた大いなる失敗作。『ダークナイト ライジング』やドラマ版『
GOTHAM/ゴッサム』に登場するセリーナ・カイルではなく、ペイシェンス・フィリップスなる女性がバットマンとは無関係に“猫化”する話である。猫化というスーパーパワーを得た割には戦いの目的・内容共にショボく、また、「ニャーッ!」とポーズを取ってカッコつける猫要素が悪い冗談にしかなっていなかった。露出過多なコスチュームは嫌いじゃなかったが、それ以外の点ではラジー賞受賞も納得の迷作である。
あらすじ
化粧品会社の広告デザイナーとして働くペイシェンス(ハル・ベリー)。彼女は新商品の若返りクリーム“ビューリン”に恐るべき副作用があることを知ってしまい、口封じのために殺されてしまう。しかし、彼女が助けた猫の“エジプシャン・マウ”には特殊な力があり、ペイシェンスはキャットウーマンとして蘇生するのだった。
感想
ハル・ベリーがラジー賞の授賞式に登壇したという話を知った時、三十郎氏は大いに感銘に受けた。確かに本作は紛れもない失敗作であり、彼女のキャリアの汚点となる一作なのだが、その失敗をも自らの仕事として受け入れる器の大きさである。誰しもたまには失敗することだってある。それを深刻に捉えすぎることなく次に進む。これは自分の本来の実力に自信があるからこそできることだろう。不名誉な賞を受け取る彼女は姿は映画本編とは対称的に格好よく、勇気づけられさえするものであった。
しかし、最近になって彼女が本作の内容を批判しはじめたと知り、とてもガッカリした。彼女の「どうしてキャットウーマンはスーパーマンたちと違って世界を救えないのか」という疑問はもっともなものかもしれないが、そんなショボくてつまらない話なのは最初から分かっていたはずである。「私は役者であって監督ではないからプロットに口出しできなかった」とも発言しているようだが、既に有色人種として史上初のアカデミー賞主演女優賞に輝いていた彼女には出演作を選ぶ権利があったはず。金儲けのためにしょうもない映画に出ただけだろうに。自ら道を切り開いた彼女が、ただ勝ち馬に乗ろうとするかのような発言をしているのを見ると、どうしても「凋落」や「浅薄」という言葉を使いたくなる。珍作として本作を愛してくれたファンだっていただろうに。これは彼らに対する裏切りに他ならない。失敗の存在を否定するのは間違っている。
その上、本作の本質的な問題点は「戦う相手がショボいこと」ではない(確かにそれも問題だが)。大人気のスパイダーマンだって“あなたの親愛なる隣人”であり、別に世界を救ってはいない。目的の正当性とアクションの魅力の二つを伴っていれば、規模自体は問題ではないのである。確かにショボい話だが、自分が殺された真相を知りたいと思う気持ちは自然だし、全世界の女性を健康被害から救うために立ち上がることの何が悪いのか。
本作の問題は、化粧品会社の陰謀が「そんな話があるか」というレベルのちんけなもので、ラスボスのローレル(シャロン・ストーン)も“肌が硬いだけ”の特殊能力なしという二点にあるのではないかと思う。前者の陰謀を「副作用があるけど発売を強行するぞ!」だけの展開よりも説得力あるものにできていれば、キャットウーマンはちゃんとヒーローとして活躍できただろう。また、後者のラスボスがもう少し強ければ、猫的身体能力を活かしたアクションシーンを撮ることもできただろう。本作がショボいのは“規模”ではなく“質”である。
90年代的スタイリッシュの観念を引きずったかのようなキャットウーマンの“格好いい描写”はダサかったが、劇場公開当時ならそこまで酷いとは思わなかったと思う。逆に「これは酷い」と思わざるのを得ないが、彼女の人間性。引っ込み思案だったペイシェンが猫化により自分を解放するという設定なのだが、変な所でセリーナ・カイルのキャラを反映させているのが良くない。(作品による設定の違いはあるものの)セリーナの泥棒稼業が“生き抜く術”なのに対して、ペイシェンスの場合は“解放”が単なるワガママにしかなっていない。
映画制作というのは“時代”の影響を受けるものである。仮にキャットウーマンの制作が『ダークナイト』後であったなら、アン・ハサウェイが演じたようなリアル路線で、彼女の“背景”を重視したシリアスな話になっただろう。本作が「特殊な猫に力を授けられる」という、いわゆるスーパーヒーロー的な設定になったのは、二年前に空前のヒットを記録した『スパイダーマン』の影響が大きかったのだろうか。そもそも“スーパーヒーローの設定”というものがどれも似たりよったりではあるのだが、CGで描くヒーローが人間離れした動きを披露する描写なんかも似ていて(本作の方がだいぶぎこちない)、同作を強く意識しているように感じられた。
ペイシェンスがスシのネタだけを食べるシーンがあるが、今だと糖質制限として理解されうるか。