オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ダンケルク』

Week-end à Zuydcoote(Weekend at Dunkirk), 123min

監督:アンリ・ヴェルヌイユ 出演:ジャン=ポール・ベルモンド、カトリーヌ・スパーク

★★★

概要

フランス兵視点のダイナモ作戦。

短評

クリストファー・ノーランの戦争映画“じゃない”方の『ダンケルク』。1964年のフランス映画である。同作が撤退という“敗戦”を描きながらも“その先の勝利”を見据えた希望に満ちたラストだったのに対して、本作は厭戦気配と無常感がたっぷり。「いったん逃げて立て直すぞ!」というイギリスと、ドイツ軍に包囲・占領されることになるフランス。最終的には同じ戦勝国となりながらも経緯の大きく異なる両者が同じ戦いを描くと印象が大きく変化するという事実に、なんとなく納得させられた。言ってしまえば、本土決戦の時点で“負け”である。いついかなる時も逃げ道を用意しておくに限る。

あらすじ

所属していた部隊とはぐれたフランス兵のマイア(ジャン=ポール・ベルモンド)は、仲間たちと共にズイドコートの海岸で過ごしながら、ダンケルクから撤退するイギリス船に乗って逃げることを画策していた。しかし、イギリス人優先の船に乗ることはなかなか叶わず、町はドイツ軍による爆撃を受け続けていた。

感想

ノーランの『ダンケルク』が最初の一発の銃声からずっと極度の緊張感を伴う作品だったのに対して、本作はどこか牧歌的な空気が流れている。主人公のマイアは空襲の最中に避難を拒否する能天気男だし、ヒロインのジャンヌ(カトリーヌ・スパーク)も自宅ベランダに出て双眼鏡で爆撃機を観察している。ビーチで酒を飲んだり、ナースの胸の大きさを気にしたりと、鬼気迫る状況とは対称的に暢気な日常が繰り広げられている。ここはコミカルに感じられる演出が多く、撃墜されてパラシュート降下した独軍パイロットを(上官の指示を無視して)蜂の巣にするシーンが好きだった。

その一方で、背景となる町の姿は悲惨そのもの。爆撃を受けた建物は煙を上げて燃え、そこら中に死体が転がり、爆撃が止むことはない。マイアたちの姿からは“戦争映画らしさ”がまるで感じられないが、飛び交う爆撃機や火薬の量は一大スペクタクルである。この点にはあまり期待していなかったので、意外なまでの完成度に驚かされた。

本作には二つの見所がある。一つは、迫力に満ちた爆発の中にあって暢気に振る舞う兵士の姿を描くことで、そのギャップから当時のフランス人の置かれていた立場が見えてくるというもの。攻撃されているのが自分たちの国なので、イギリス兵のように「一度祖国に逃げて立て直す」という期待は抱けない。また、独軍による包囲が決定的なので、「祖国を守るために積極果敢に戦う」という前向きな目標も持てない。これではやる気を失くすのも当然である。一見暢気に振る舞っているようにも思えるが、流れに身を任せるしかない状況と言ってもよいかもしれない。イギリス兵がやたらと紅茶ばかり飲んでいる、これまた暢気な描写にも、フランス人の複雑な心中が見え隠れしている。

もう一つは、“無意味な死”である。“背景”として数多く描かれている独軍の爆撃により命を落とす者たち。彼らも犬死と言えるのかもしれないが、マイアが直接関わる死は、より無意味さが強調されている。ジャンヌをレイプしようとしてマイアに射殺される二人の兵士は、ドイツ兵ではなく仲間のフランス兵である。マイアの代わりに水汲みにいった所で爆撃を受けて死亡するアレクサンドルは、勇敢に戦っての戦死ではなく水汲み死である。なんたる不毛。なんたる不条理。どうしようもない虚無感が漂うのであった。

Week End a Zuydcoote (Folio)

Week End a Zuydcoote (Folio)

  • 作者:Merle, Robert
  • 発売日: 1972/07/01
  • メディア: マスマーケット