オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅』

The Extraordinary Journey of the Fakir, 96min

監督:ケン・スコット 出演:ダヌーシュ、エリン・モリアーティ

★★★

概要

憧れのパリを訪れたインド人が予定外の旅をする話。

短評

色々と粗の多い物語なのだが、それを許せてしまう一作。それは枠物語という形式のおかげであり、枠物語を利用することで伝わってくるメッセージのおかげでもある。そこそこに笑えて、良い事も言っていて、ほんのりと心温まる映画だった。こんなホラ話を臆面もなく生み出せる創造力に憧れる。原題の「Fakir」はイスラム教の「托鉢僧」の意味らしいが、原作を加味すれば「サドゥー(インドの苦行僧のことだが、観光客に撮影代を請求する偽物も多い)」のことか。

あらすじ

ムンバイの母子家庭で生まれ育ったアジャ。パリに憧れ、家具デザイナーとなることを夢見ていたが、その夢を果たさぬままに母が他界する。母の死を切っ掛けに、アジャは一念発起してパリへと飛ぶ。さっそく向かった(IKEA風の)家具屋で美人アメリカ人マリー(エリン・モリアーティ。『ザ・ボーイズ S2』は9/4から!)に恋に落ちるが、パスポート、遺灰、偽100ユーロ札の三つしか持たぬ彼がクローゼットに“宿泊”していたところ、イギリスへと輸出されてしまう。イギリス、スペイン、イタリア、リビアを巡り、女優のネリー(ベレニス・ベジョ)や不法移民たちと出会う、アジャの旅が始まる。

感想

マリーを巡る描写を中心に雑な部分の多い話なのだが、重要なのはこれが枠物語であるという点である。最後に「本当の話なの?」と尋ねられたアジャが「重要な部分だけ」と答えているように、基本的には大ウソである。しかし、彼はこの物語を少年院に収監予定の少年たちを相手に語っている。多少(どころではない)のご都合主義があろうとも、彼らに可能性や希望を信じさせることが大切なのである。これはアジャ版『ビッグ・フィッシュ』なのだ。アリソン・ローマンとエリン・モリアーティもどことなく似ているではないか。

映画の冒頭に「運こそ全て」と語られる。人類は生まれた時点で不平等である。容姿も、才能も、家庭の経済状況も異なる。アジャは貧乏な母子家庭に生まれ(教育により自分が貧乏であることを知る)、大道芸とスリで稼ぐ生活を送ってきた。とても恵まれた境遇とは言えない。これは物語を聞いている少年たちも同じだろう。そんな彼が奇想天外な旅をして、自分よりも恵まれない境遇の人々と出会い、彼らに救われ、そして彼らを救う。そこには運の要素も大きいが、より重要なのは希望を持って自ら人生を切り開くことである。アジャは自身の物語を通じて、不運にも犯罪者となった少年たちに“運だけでは決まらない人生の可能性”を伝えたのである。

アジャのナンパ方法が面白い。“ロールプレイ・ナンパ”である。家具屋で商品を見ている女性に対して「ただいま、ハニー。今日も大変だったよ」と話し掛ける。女性は当然に戸惑うが、「この部屋での生活をイメージしたかったから」とその理由(=言い訳)を語る。普通ならば羞恥心が邪魔をして躊躇われる芸当だが、この不審者ムーブを繰り返している内に相手の女性も面白くなってノッてくる。見事ナンパ成功である。是非ともどなたか試して成果を報告してほしい。マリーのためにパリ移住を決意したのに二度会っただけのインド人のせいでフラれたと思しきピーターは気の毒だったが、道案内を装ってのナンパという彼のつまらないテクニックと比べれば、アジャの独創性が際立つ。マリーについての顛末は流石にご都合主義が過ぎるが、“重要な部分”なのでくっついたのは本当なのか。

不法移民としてイギリス警察に捕まったアジャが他の移民たちとまとめてスペインへと送還されるシーン。ここで何故かイギリス人の警官が歌って踊りだす。それに対して、ボリウッドのあるムンバイで生まれ育ったインド人のアジャが歌って踊れない。インド映画を逆手に取るかのような演出が非常に可笑しかった。しかし、その後イタリアのクラブではネリーと一緒に歌って踊っており、やはりインド人は歌って踊れるのだった。インド人が踊りだす時には感情の昂りが必要という演出だったのか。