オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『チャタレイ夫人の娘』

Un viaggio meraviglioso(The Daughter of Lady Chatterley/Lady Chatterley's Passions 2: Julie's Secret), 84min

監督:エマニュエル・グリセンティ 出演:ソランジュ・クソー、ジャンニ・フランコ

★★

概要

チャタレイ夫人の娘が『チャタレイ夫人の恋人』を読んで性に目覚める話。

短評

チャタレイ夫人の娘の話である。関連作品を二本観て少し飽きてしまっているのだが、本作については元の話を知っていて良かったと思える内容だった。なお、知っているからと映画が面白くなるわけではなく、あるのかないのか分からない程度のストーリーが“ギリギリある”と言えるような助けになるだけである。ちなみに、監督のエマニュエル・グリセンティはパスクァーレ・ファネッティ、即ちフランク・デ・ニーロの別名義らしく、『チャタレイ夫人の恋人』と同じ監督である。

あらすじ

森の中の小さな寄宿学校で女としての本能に突如目覚めたジュリー・クリフォード(ソランジュ・クソー)。彼女の母は『チャタレイ夫人の恋人』のモデルとなった人物であり、彼女も同作を読んでは母(ガーラ・オルロヴァ)が愛人メルトンと情熱的に交わる姿を妄想して自慰するのだった。ジュリーが学校を卒業し、休暇でマーサ叔母(ロベルタ・フレゴネーゼ)を訪ねるとメルトンがいて、彼女は母の愛人に惹かれていく。

感想

ジュリーの誘惑を真人間メルトンは拒むも(本作にもメイドが出てくるが抱かない)、彼女はしつこくダンスやストリップ、水掛けプレイで誘惑を続ける。そうして彼が辛抱たまらず抱こうとしたところで、今度はジュリーが「私は処女じゃなきゃいけないの」と行為を拒否。彼女には名家のジェームズという婚約者がいるのである。それでもなんだかんだで二人が交わるという話である。

自慰、妄想、誘惑の三本立てエロの間に進む一応のストーリーではあるが、他作品に比べると物語らしい物語になっていたような気もする。しかし、ようやく二人が交わった次のショットでジュリーとジェームズが何事もなかったかのように結婚式を挙げており、一応あったはずのストーリーですらなかったことにされてしまうのであった。果たしてジェームズは初夜にどんな反応を見せたのだろうか。

性について未熟という設定を忠実に表現するためなのか、ジュリー役ソランジュ・クソーのおっぱいはイマイチである。単純に小さいし、形も良くない。ショートカットとメガネっ娘の組み合わせは嫌いではないが、あまり似合っているとは言えなかったように思う。その代わりなのか、彼女が本を読んでは妄想する母の姿は実に豊満であった。特にリンゴを使用したプレイが印象的である(西洋におけるリンゴは“禁断”のメタファーなのか)。母の肉体を知るメルトンであれば、なかなかジュリーニなびかないのも納得である。

自慰行為がメインの娘とは異なりメルトンと情熱的に交わるチャタレイ夫人。他のチャタレイ夫人関連作と同じく、メルトンはズボンを履いたまま挿入している。しかし、これはジュリーの妄想である。彼女は処女なので、パンツを下ろした男の股間を頭の中に描けないのではないだろうか。こう考えれば辻褄の合う演出だと思い、少し感心すらしたのだが、最後に実際に交わる時にもメルトンはズボンを履いたままだった。なお、ジュリーもパンツを履いたままである(これはズラせば……)。

ベッドに横たわると「このベッドで母は彼と……」と、庭の木を見れば「あの木の幹では母は……」と妄想するジュリー(木の幹をカニバサミして擦り付ける自慰行為がアクロバティック。しかも行為後に追加で)。思春期の男子よりも思春期である。箸が転んでも濡れる年頃である。その後、彼女は実際に木に近付いて自慰する。これを夢遊病だと勘違いした叔母の要請によりメイド(アレサンドラ・ブルーニ)が迎えに出る。「学校だったら大罪ね」と照れるジュリーに対し、メイドが「罪かどうかは裸の美しさ次第」と『アレオパゴス会議のフリュネ』みたいなことを言うのが笑えた。そこから二人が裸の見せ合いっこをするという強引さである(メイドの方が大きなおっぱいだった)。ちなみに、メイドの恋人の名前がハーバートという小ネタがある(原作者D・H・ロレンスから取ったのだろう)。

実際に観ずとも分かっていた通りにチャタレイ夫人の名を借りてソフトコア・ポルノをやるためだけの映画ではあるのだが、BGMに『白鳥の湖』が何度も使用されているので無駄に壮大な感じになっている。