オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『幸せはシャンソニア劇場から』

Faubourg 36(Paris 36), 115min

監督:クリストフ・バラティエ 出演:ジェラール・ジュニョ、ノラ・アルネゼデール

★★★

概要

潰れた劇場を再建する話。

短評

ほろ苦くも心温まる人情ものではあるが、少々予定調和が過ぎる一作。Wikipediaによると“楽曲ありき”でストーリーが後付けされたとのことであり、その影響が大きいのかもしれない。とは言え、ノスタルジックな音楽がそこまで魅力的というわけでもなく、色々な意味で“普通の映画”の範疇に収まっていたように思う。多少人が死んだりして悲哀を感じさせはするものの、ご都合主義の強さの方が勝っていた印象である。

あらすじ

1936年、パリの下町にあるシャンソニア劇場。資金繰りの悪化によりギャラピアに劇場を奪われ、支配人ドルフィユは自殺。長年劇場で働いてきたピゴワルたちは職を失ってしまう。ピゴワルの息子ジョジョアコーディオンの大道芸で稼いで父の生活を助けていたが、警察に物乞いと認定され、浮気して家を出た妻ヴィヴィアヌの元へ。息子を取り戻すには定職が必要ということで、ピゴワルは仲間たちと劇場の再建に乗り出す。

感想

かつての仲間たちが集合し、潰れた劇場を再建する。これは万人受けする定番のプロットなのだが、本作はその過程が弱い。“かつての仲間”による演目は全くウケず、ギャラピアのコネで参加した女性歌手のドゥース(ノラ・アルネゼデール)だけが人気を集める。彼女が引き抜かれて劇場もジリ貧に……という状況で、とってもご都合主義な事実が発覚して劇場も復活するという流れである。ドゥース復帰後は劇場の演目を下町ミュージカルに変更して成功したことになっているが(恐らくこの演目が“楽曲ありき”の部分)、劇場としては“ドゥースありき”である。下町ミュージカルを生み出した過程が欠落しているため、“皆で頑張って再建した”という印象が弱い。

ギャラピアとドゥースの関係は典型的な“パトロンと愛人”のようでいて、彼らは意外にも身体の関係を持たない。食事デートだけで舞台に立たせ、引き抜かれて戻ってきた時には「見返りを……」と押し倒しておきながら、「これじゃダメだ。自分からでないと……」と未遂に終わる。なんとピュアなおっさんなのだろうか。そして、なんと阿呆なのだろうか。悪辣な権力者が若い美女に心から愛されると期待してしまうなんて。どうせ無理なのだから金の力でブイブイ言わせておけばよいのに。当然ドゥースは他に男を作り、事件が起こる。なんだかんだあってピゴワルがギャラピアを殺害してしまうのである。そして、冒頭の取り調べのシーンへと話が繋がる。気の毒なピュアおっさん。

ドゥースの母ローズとかつて愛し合っていた音楽家マックスが「シャンソニア劇場を救って」と説得するシーンは、非常に無責任だと感じた。それは既に成功していたドゥースに対して一方的に犠牲を強いる行為であり、その上、彼女はギャラピアに押し倒される。マックスとローズの関係は、ローズの枕営業による妊娠で破綻を迎えているのに、もしギャラピアがピュアピュアおっさんでなければ同じ運命を辿りかねないところであった。彼は「ラジオを聞いていれば家から出なくても外の世界のことが分かる」と言っていたが、偏った情報にばかり触れていると自分に都合の良い方にしか考えられなく証左だろう。マックスの頼みの他にミルーとの恋がドゥースを劇場に連れ戻したという要素はあるものの、どうも美談だとは思えない。

共産主義に傾倒し、未払い給与の支払いを求めてストを起こそうとするミルー。これに対してピゴワルは、「俺はずっと文句も言わずに働いてきた」と告げる。真っ当な主張を黙殺しようとする身近にいてほしくないタイプの老害である。両者失職後、ミルーは活動家としてストライキを扇動する。これに対してピゴワルは、「ストをするのは怠け者」と悪態をつく。そのピゴワルに対してジョジョが、「パパも働いてないじゃん」と返すのが痛烈だった。

いくつかの欠点が目につく一作ではあるが、終盤のミュージカルの演出(劇場という舞台から飛躍していながらも舞台美術を利用している海のシーンが良い)や1930年代のパリの町並みのセットといった良い部分もちゃんとある。ストーリーも“並”ではあるが悪いわけではない。ドゥースを演じるノラ・アルネゼデールも美人である。悪くはないのだけど、もう一つ響かなかったかなぁ……。

幸せはシャンソニア劇場から

幸せはシャンソニア劇場から

  • メディア: Prime Video
 
幸せはシャンソニア劇場から

幸せはシャンソニア劇場から

  • 発売日: 2009/09/02
  • メディア: MP3 ダウンロード