オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『愛の施術 至極の教典TAO』

No mires para abajo(Don't Look Down), 78min

監督:エリセオ・スビエラ 出演:アントネッラ・コスタ、リアンドロ・スティーヴルマン

★★

概要

青年が綺麗なお姉さんにスローセックスの手ほどきを受ける話。

短評

アルゼンチンのスピリチュアルな桃色映画。劇中でいくつかの意味ありげな言葉を引用しているものの、スピリチュアル界隈を一切信用していない三十郎氏にとっては単なる桃色映画である。「自分も綺麗なお姉さん(年下)にあれやこれやを教えてほしいなあ……」と羨ましがりつつも、実際に彼女のような人物に遭遇すれば洗脳を疑って逃げ出すと思う。それともジョニーに抗えず、口では「うんうん」と納得するか。

あらすじ

父が死んで以来、夢遊病となったエロイ青年。ある夜、彼が屋根の上を徘徊していると、エルビラ(アントネッラ・コスタ)という女性の部屋に落下してしまう。それをきっかけに二人は仲を深めるが、エロイは裸で見つめ合うだけで果ててしまう。そんな彼にエルビラが「天国の歩き方を教えてあげる」と告げ、年上お姉さんによるスローセックスの授業がはじまる。

感想

エルビラの教える愛の技術は、「射精せずに絶頂に達する」というもの。射精すればエネルギーが失われるが、射精しなければそのエネルギーを溜め込み、長生きできるのだとか。というわけで、長時間のキスや愛撫(1時間の口淫を含む)と、ゆっくりとした挿入行為で、「射精をコントロールし、相手を満足させる」ことを目指す。目標は「81回突いても果てない」ことである。早漏には厳しい試練である。

「81回はとても無理だ」と弱気なエロイ。エルビラは「先入観は捨てて。何でもできる」と告げる。なんだかヨーダの「Do or do not, there is no try.」みたいな話である。エロイは挿入中にピタゴラスの定理オームの法則のことを考え、なんとか回数を伸ばしていく(その後遺症により授業中に絶頂する)。

そして、運動回数が70回を超えた瞬間、エロイの意識が別の世界へと飛んでいく。彼はこれを「絶頂旅行」と名付ける。彼は旅行時間を伸ばすべく挿入時間も伸ばそうと頑張るわけだが、旅行しているのはエロイだけでエルビラは現世界に留まっているわけなので、「相手を満足させる」というスローセックスの教義から外れた自己本位な体験ではないだろうか。それに射精だってしていると思うが。

パートナーとの関係を深めるために行為を工夫するというのは素敵な考え方だと思うし、男が自分本位な性行為をやめるというのも必要だろうが、その成果が精神世界みたいな話だと流石に胡散臭い。セックスを通じて人類が新しい能力を獲得するなんて完全にエロカルトである(あのエキスにだって何が入っているやら)。エロイが絶頂旅行についてヒーラーのセリアに尋ねると、彼女は「どうして説明が必要なの?」と返答。セックスは個人的な行為なので、その体験に説明は必要ないかもしれないが、これはその体験を伝える映画である。なお、三十郎氏は自分に対する説明が不可能な行為は受け入れがたいため、このように説明を拒否するスピリチュアル界隈を全面的に忌避している。結局のところ、スローセックスとは、「射精すれば満足」な男をなんとかするために女性が用いる方便だろう。

エルビラは自身の女性器を「アドラリトス」と名付け、エロイは自身の男性器を「マーロン」と名付ける。エルビラ曰く「ジュニアやムスコじゃダメ」とのこと。三十郎氏は登美彦氏をパクって「ジョニー、ジョニー」と男性器本体及びそれにまつわる男性性を呼称しているが、自分だけの名前が必要かもしれない。何にしよう……。

基本形が4つ、その変種が26あるという体位の名称が面白い。「木の前のヤギ」「カモのつがい」「跳躍する野生馬」「つながるオシドリ」「赤の洞窟で戯れる不死鳥」「木にしがみつくホエザル」「山の頂上を舞うワシ」「晩春の白鳥」。桃色界隈というのは、どうしてこんなにも表現力豊かなのだろうか。写真や映像技術の発展により裸や行為そのものを見られるようになる以前──“いかに想像させるのか”が重要な時代が長かったことが関係しているのだろうか。言語の発明と同時に需要も相当に生まれたはずである。

愛の施術 至極の教典TAO [DVD]

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  • 発売日: 2010/02/03
  • メディア: DVD