オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男』

A Kind of Murder, 95min

監督:アンディ・ゴダード 出演:パトリック・ウィルソンエディ・マーサン

★★

概要

妻殺し事件とメンヘラ妻を殺したい男の話。

短評

面白くなりそうでならなかった一作。主人公の行動があまりにも愚鈍なので、「これはあからさまなミスリードで、最後にどんでん返しが待っているに違いない」と期待したら、どんでん返しの「ど」の字すら存在しなかった。主人公だけでなく彼を含む主要人物三人が皆阿呆な上に、ノワール映画のファム・ファタールとなりそうな女性も全く悪女ではなく、魅力的な導入部と中盤以降のギャップが悪い意味で激しい。原作の原題が『The Blunderer』で「へまをする人」という意味なので、主人公の間抜けさがテーマだったのかもしれないが、そこを楽しめるような構成になっていない。

あらすじ

建築家の夫ウォルター(パトリック・ウィルソン)と不動産営業の妻クララ(ジェシカ・ビール)。クララは精神不安定であり、夫がパーティーで出会ったエリー(ヘイリー・ベネット)と話しているだけで浮気を疑い、挙げ句は薬を飲んで自殺を図る。そんな妻を疎ましく思っていたウォルターが、ある日、未解決殺人事件の記事を目にする。副業小説家としての直感から被害者の夫キンメルが犯人だと断定し、ウォルターは彼に会いに行く。その数日後、クララの死体が発見される。

感想

映画の冒頭にキンメルのアリバイ工作(映画館で知人に話しかける)のシーンがあり、ウォルターはそれを真似するかのようにダイナーで男に話しかける。当然に「これは模倣犯なのだな」と思うわけだが、そこから先の雲行きがどうも怪しい。わざわざアリバイ工作をしたはずのに警察の取り調べで「妻に会ったのは家が最後」と嘘をついてダイナーの件に言及せず、別のアリバイ工作とばかりにエリーに口裏合わせを頼む。様子がおかしいので「これは模倣犯だと思わせておいて……という話なのだな」と考えを改めるも、副業小説家が実際の事件を利用して完全犯罪を実行する姿が一向に見えてこない。

三十郎氏は、(クララの殺害シーンがなくとも)てっきり「ウォルターが犯人に違いない」と思い込んで本作を観ていたのだが、どうやらウォルターは本当にクララを殺していないらしいのである。これはこれで“どんでん返し”と言えなくもないが、そこで驚かせてどうする。て言うか、そっちかよ!?終わってみれば、「妻を殺したい」と願った男がひたすら墓穴を掘り続ける話だったと分かるのだが、そこが焦点なら、ウォルターが犯人でないと早い段階で明示しておくべきだっただろう。本来とは別の方向にばかり誘導されてしまい、するべきではない期待を裏切られるという映画が悪いのか観客が悪いのかよく分からない状態に陥ってしまった。

ウォルターが小説家としての興味でキンメルに会いに行ったこと。二つの事件に類似性があったこと。この二つの要素とウォルターの間抜けぶりが絡み合うことで複雑な不毛地帯が発生するはずの物語なのだが、その不毛さを楽しませるように観客を導けていないのが、本作最大の失敗だろう。

夫が家を建て、妻が家を売る。ウォルターとクララは美男美女の理想的な夫婦のようだが、妻が相当なメンヘラである。「(パーティーに)夫の友人を呼ぶな」という支配的な性格を見せたかと思えば、夫婦の営みは拒むくせに夫が他所の女と話しただけで激しく嫉妬する。嫉妬するだけならまだしも浮気と断定し、「エリーのところへ行きなさいよ!」と脈略なくキレる。そして自殺未遂。耐え切れなくなった夫が「離婚しよう」と申し出ると、「離婚したら自殺する。あなたのせいだと思われるわよ」と脅す。これは「殺したい」と願うのも納得である。夫を寝取って妻を殺させそうな雰囲気を持つエリーはウォルターに巻き込まれただけの気の毒な女性だったが、クララの方はファム・ファタールとは別の意味で立派な悪女だった。

コービー刑事の捜査は、「妻殺しの犯人は統計的に夫と決まっている」の一辺倒である。何も証拠を見つけることなくキンメルを拷問したりと、ウォルターに劣らぬ間抜けぶりだった。

「この物語は(ウォルターの執筆する?)小説でした」みたいな(オチにもならない)オチになっている。三流小説家の作品なら納得……と言いたいが、原作者は『見知らぬ乗客』や『太陽がいっぱい』など数々の映画化された作品を執筆したパトリシア・ハイスミスである。