オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『続・禁断のインモラル/悦楽に身を焦がす女たち』

Mio Dio, come sono caduta in basso!(Till Marriage Do Us Part), 110min

監督:ルイジ・コメンチーニ 出演:ラウラ・アントネッリ、アルベルト・リオネロ

★★★

概要

初夜に兄妹だと発覚して“できない”話。

短評

ラウラ・アントネッリ主演の桃色コメディ。意外にもよく練られている展開やコメディのツボを押さえた演出が楽しかった。もちろん理想的な豊満さを誇る“ヴィーナスの体”も拝めて眼福である。行為の描写がなかったのは少々残念だが、それすらもコメディの演出として上手く利用できているのは否定できない。官能度は低めだが、桃色とコメディのバランスに優れた一作だった。

あらすじ

レイモンドと結婚し、初夜を迎えた処女エウジェニア(ラウラ・アントネッリ)。(股間に穴の空いた服を着て)夫を寝室へ迎え、正に行為がはじまろうとするその瞬間、一通の電報が届く。それはエウジェニアの父からで、二人が異母兄妹だと告げるものだった。行為は果たされず、しかし離婚もできない。表面上は夫婦として、寝室では兄妹として暮らすと決めた二人だったが、“肉体の歓び”を知りたくて悶々とするエウジェニアに、フランス人男爵アンリ(ジャン・ロシュフォール)やお抱え運転手ペナッチーニの誘惑が迫る。

感想

本作は主に四つのパートに分けられる。一つ、エウジェニア出生の秘密。二つ、パリへの新婚旅行。三つ、運転手との出会い。四つ、その後──といったところだろう。それら全てに“ちゃんと”ストーリーが存在していて、処女と童貞が悶々とする姿を笑うだけのコメディに終わっていない点が良い。

エウジェニアの父ルジェロは、レイモンドの父アントニーオと戦場で知り合う。しかし、ルジェロはそけい部を負傷し、アレをなくしてしまう。妻フロリディア(ローズマリー・デクスター)の求めに応じられず悩んだ彼は、“ボッカチオ的な策略”として、睡眠薬で眠らせた妻のいるベッドにアントニーオを送り込むのである。てっきりルジェロがよそで遺伝子を撒き散らしてきたのかと思っていたら、まさかの展開であった。なお、この目論見はあっさりと露見し、妻は出産後に心痛で死亡する(アントニーオは偉そうになったのでルジェロが殺す)。

パリへ向かう汽車の中でエロ男爵アンリに出会い、舐め回すような視線に歓びを覚えるエウジェニア。激しく彼女を求める彼に屈しそうになったエウジェニアは、パリで神父に懺悔する。ここで「愛欲の罪?気にせずともよい」というフランスらしい回答を得て、帰りの機関車でアンリを部屋に招き入れる。ここでどうして夫が部屋にいないのかだが、鉄オタの夫は機関室で一人ハッスルしているのである(それを見越してアンリが高速機関車の席を用意)。オタク諸氏は、自分の趣味に没頭している内に妻や恋人を寝取られないように注意されたし。レイモンドはパリで桃色映画やヌード写真鑑賞機にも夢中になっており(恐らく後者の時点で娼婦で脱童貞している)、彼が鉄オタでなくともNTRチャンスが満載なのであった。なお、アンリはエウジェニアが処女である知ってドン引きしてしまい、目的は果たされない。

シチリアへ戻り、肉欲を忘れるため慈善活動に精を出すエウジェニア。夫はそれを支援しようと車をプレゼントするが、男性運転手付きである。欧米人は匂いに敏感らしく、エウジェニアはペナッチーニの湧き立つ汗の香りに抗えない。小屋に連れ込まれ、「ダメよダメよ」と言いながら、なすがままに服を脱がされていく。この“服”が複雑過ぎて、ギンギンのはずのペナッチーニが諦めかけるのが笑えた(ここでエウジェニアは本気の「ノー!」)。処女を捨てた彼女は肉欲の塊と化し、翌日、同じ小屋で「もう一度して」「またしてほしい」「もっともっと」「もう一度」と驚異の五連戦をペナッチーニに強いる。その度にカメラが一度小屋の外に移動するのだが、このあえて“見せない”演出がコメディ的には良かった。徐々に強張っていくペナッチーニの表情も秀逸である。

ペナッチーニと別れ、夫の不貞行為を目撃して、エヴェリン(カリン・シューベルト)と詩人ダヌンツィオに会いに行き、ダヌンツィオではなく彼女とタブーを犯し、更にタブーを無視すべく夫と交わろうとして、実は兄妹でなかったことが発覚する。“処女を捨てる”というメインイベントが終了した後も面白イベントが盛り沢山だった。特に「兄妹でなかった」という展開は喜劇感が強くて好きなのだが、その上、「近親相姦じゃないならやる意味がない」と行くところまで行っているのが最高である。

レイモンドが強い影響を受けるダヌンツィオと、ルジェロの“ボッカチオ的な策略”。前者がインモラルな文章を書き、戦争を鼓舞したというのは劇中の描写で分かるものの、後者はどんな意味なのだろう。意外にも文学的教養を強要してくる……と思ったが、調べてみたところ、彼は私生児のようなので、単純にそういう意味なのかもしれない。それでも教養がなければ分からないと思うが。

結婚時のエウジェニアが12才というのは、ラウラ・アントネッリの実年齢的に無理のある描写なものの(あんなに完熟食べ頃の肉体を持った12才がいれば、存在だけで犯罪的である)、舞台となる1900年代初頭では普通だったのか。この百年で随分と晩婚化が進んだものである。

邦題が非常にややこしいことになっている。「続」ではない『禁断のインモラル/魔性に彩られた処女喪失の館(Casta e pura)』が1981年の映画であるのに対し、本作は1974年の映画である。きっと後者の公開かパッケージ版の発売を機に日本に輸入されたのだろう。更に、本作には『ラウラ・アントネッリの青い欲望』という別タイトルが存在し、こちらは代表作『青い体験』になぞらえたものと考えられる。おまけに『レディ・ドール 青い欲望』という別タイトルまであるらしい。なお、英題も『Till Marriage Do Us Part』と『How Long Can You Fall?』の二つがある。