オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『8 1/2』

8 1/2, 138min

監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ

他:アカデミー賞外国語映画賞、衣装デザイン賞(ピエロ・ゲラルディ)

★★★

概要

映画監督がスランプな話。

短評

フェリーニの自己言及的な一作。劇中で主人公の脚本を読んだ作家が「映画全体が訳の分からぬ挿話の羅列だ」と批判している通りに、あってないようなストーリーがひたすら混沌へと突き進んでいく。正直に言えば退屈した部分も多いし、訳も分からなかったが、押し寄せるカオスの波に飲み込まれる感覚の魅力までは否定し難い。マルチェロ・マストロヤンニの眼鏡姿がとても洒落ていて(妻を演じるアヌーク・エーメも眼鏡美人)、次に買い換える時に真似したいと思った。

あらすじ

映画監督のグイド(マルチェロ・マストロヤンニ)は疲労の蓄積で保養地へとやって来たが、巨乳の愛人カルラ(サンドラ・ミーロ。ソフィア・ローレンみたいな超細眉が流行だったのだろうか)や妻ルイザ(アヌーク・エーメ)、プロデューサー、記者、役者たちに煩わされつづけ、保養もできなければ次回作の構想も固まらない。それでも彼は元の生活に戻るが、やはり映画の撮影は上手くいかず……。

感想

主人公グイドの状況は、冒頭の夢のシーンが端的に表わしている。彼は交通渋滞に巻き込まれて身動きが取れず(バスの乗客が幽霊的で不気味)、車から脱出して空を飛んでいるところを縄で捕らえられて海に落っこちる。そこでお目覚めである(寝小便しなかっただろうか)。夢の世界で彼を取り囲んでいた車が現実世界では関係者に、空中浮遊が妄想世界への逃避に置き換えられている。これが本作の基本構造と言ってよいだろう。しかし、妄想は夢と違って醒めることがない。現実との境目が消えていく。従って本作は必然的に混乱しているのである。

この関係者たちがとにかく喧しい。誰もがやたらと話し掛けてくる。「次の映画は?」「こんなアイディアがある」「恋愛映画は撮らないの?」「哲学的な意味がない」「もっと分かりやすくしろ」「仕事くれ」と好き勝手に言いたい放題な連中が次から次へと登場する(この連続感を表現する流れるようなカメラワークも凄い)。これがイタリア語の畳み掛けるようなリズムと相まって非常にけったいなことになっている。これでは気も休まらないし、妄想世界に逃避したくもなる。映画監督は大変だなあ……。

最も好きなシーンは、グイドのハーレム妄想である。彼が関係してきた美女たちが一堂に会する素敵なシーンなのだが、ハーレムには年齢制限があり、一定の年齢に達した女性は“二階行き”である。このルールに反抗する女たちが現れて、妄想という主にとって都合の良いはずの世界が大混乱へと陥っていく。ここが最もカオスが極まっていたように思う。表現者の苦悩と同じく三十郎氏には縁遠いモテ男の苦悩なのだが、「この女優が美人、あの女優はおっぱい」「このキャラが可愛い、あのキャラはエロい」と虚しい脳内ハーレムを拡張していく非モテ男も、次第に正妻の序列がつけられなくなり、グイドと同じような混乱に陥っていたりする。グッズ収集癖のある人ならば、コレクションがそのまま現実と妄想とが溶け合ったカオスと化しているはず。

タイトルの『8 1/2』は、(共同監督作品を半分として)八と二分の一本目の監督作品という以上の意味はないらしいのだが、謎のインパクトがある。「はちとにぶんのいち」ではなく「はっかにぶんのいち」という邦題の読み方もなんだか不思議である。

ちなみに本作を観るのは二度目である。リメイク版のミュージカル映画『NINE』を気に入って、「これはオリジナル版も観てみなければ」と挑んだ一度目は、「訳が分からぬ」の一言で大変に落胆した。映画がつまらなかったとこと名作と謳われる作品を理解できぬ自分の両方にガッカリした。時は流れて二度目の今回も「訳が分からぬ」だったのだが、分からないままに「このシーンは面白いな」と思う箇所が出てきたのは観客的成長なのか。それとも“つまらなすぎる”映画を観すぎた副作用なのか。いずれにせよ本作の魅力を理解したとは到底言えないのであった。

8 1/2 (字幕版)

8 1/2 (字幕版)

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