オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『チキンとプラム 〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜』

Poulet aux prunes(Chicken with Plums), 91min

監督: マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・パロノー 出演:マチュー・アマルリック、ゴルシフテ・ファラハニ

★★★

概要

演奏する喜びを失ったバイオリニストが死ぬ話。

短評

アニメーションやミニチュアを交えた幻想的な映像が魅力の一作。本作はファンタジーでありかつコメディなのだけど、描かれているのは悲恋である。子供の面倒すらまともに見られず、「俺は芸術家だぞ!稼げないって分かってただろ!」と家事と仕事の両方を妻に押し付ける唾棄すべき男が主人公なのだが、彼の生涯における“報われる”ことと“報われない”ことの皮肉な関係が、人生の悲哀を感じさせた。

あらすじ

1958年のテヘラン。妻ファランギース(マリア・デ・メデイロス)に愛用のバイオリンを破壊され、街で偶然出会ったかつての恋人イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)に「知らない」と言われ、ショックを受けたバイオリニストのナセル・アリ。彼は「奏でる喜びを失った。死のう」と決心し、「痛そうなのは嫌だし、死体が見苦しくなるのも嫌だ」と、ベッドの上で静かに死を待つことにする。

感想

最初に「八日後に埋葬される」と示した上で、死を決意してからの出来事とベッドの上で回想される過去が、一日目から順に描かれていく。飛び降り自殺や拳銃自殺の“過激な死に方”は痛そうだから嫌。科学雑誌が楽な方法として紹介していた「鎮静剤を飲んでビニール袋を被る」は死後の姿に尊厳が感じられないから嫌。こんな面倒な男の視点であるため、基本的にはコミカルな映画である。

優秀な弟アブディと比較され続けた少年時代、大好きだったソフィア・ローレンの巨大な乳房(二日目の夜は自分の体よりも大きなおっぱいに包まれて安らかに眠る。三十郎氏も大きなおっぱいは好きだが、あそこまで巨大な物体が迫ってくると怖いと思う)、師匠が何言っているのか分からないバイオリン修行、母(イザベラ・ロッセリーニ)に強制された妻との結婚、そして、熱烈に愛しながら結婚できなかった恋人の存在。これらを一つずつ紐解いていくと、本作の語り手がアズラエル(死を司る天使)であることからも分かるように、定められた死に向かっていった感じがしなくもない。

「お前の演奏は技術だけ。音がカラッポのクソ」という漠然とし過ぎていて具体的にどうすればよいのかさっぱり分からない助言を送るバイオリンの師匠。三十郎氏はこのタイプの老人が大嫌いだが、辛い失恋を経験したナセルに対して送る「お前は遂にため息を捕まえた。なくした物の全てが音の中にあり、永遠の命を得る」という言葉は素敵だった。ナセルは愛を失うことで芸術家となったのである。彼は愛が報われない代わりに芸術家としての結果に報われ、妻は彼との結婚という結果に報われた代わり愛が報われない。皮肉な話である。ナセルの悲恋以上にファランギースが気の毒に思えたが、あれはあれで愛の押し付けである。

ナセルのような父を持った子供たちは大変である。息子キュロスは、革命、戦争、渡米を経験し、フランス人がバカにする典型的アメリカンな人生を送る(ここが一番笑えた)。娘リリ(Enna Balland/キアラ・マストロヤンニ)は、結婚とスピード離婚を経験し、カードと酒とタバコに溺れる生活を送る。これは愛のない結婚の結果と見るべきなのか。それとも彼らには彼らで“報われなさ”と対になる何かがあったのか。

イランのことわざなのだろうか。「退屈の庭には不毛の花が咲く」という表現が気に入った。咲かせてみたい!

タイトルにもなっている鶏肉のプラム煮はそこまで重要なアイテムではなかったような……(妻が仲直りを目論んで好物を調理するも夫は食べない)。どんな味なのだろう。三十郎氏は給食のデザートに出てきたプルーンに良いイメージがないので、どうも食べたいとは思えない。肉とフルーツの組み合わせについては、スペアリブのマーマレード煮なんかは好きだが、酢豚にパイナップルが入っているのは耐えられないタイプである。どちらに近いのだろう。

鶏のプラム煮 (ShoPro Books)

鶏のプラム煮 (ShoPro Books)