オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『奇跡のひと マリーとマルグリット』

Marie Heurtin(Marie's Story), 93min

監督:ジャン=ピエール・アメリス 出演:イザベル・カレ、アリアーナ・リヴォアール

★★★

概要

修道女が盲聾者の少女に言語を教える話。

短評

19世紀末のフランスの実話もの。「目が見えず、耳も聞こえない」という言葉から最初に連想されるヘレン・ケラーと同時代の女性の話である。修道女が野獣的少女を導くのに要した大変な苦労が報われる瞬間や学ぶことの喜びが伝わってくるシーンは面白かったが、一方で大きな抜け落ちがあるのが気になった。少女マリーを演じたアリアーナ・リヴォアールは本物の聾者なのだが、盲人の部分も上手く演じていたと思う。

あらすじ

19世紀のフランス。聾者の少女たちを預かるラルネイ聖母学院に、目が見えず、耳も聞こえない少女マリー(アリアーナ・リヴォアール)が連れてこられる。院長は「うちでは聾者しか面倒を見られない」と断るものの、修道女マルグリット(イザベル・カレ)は運命的なものを感じ、周囲の反対を押してマリーを預かることに決める。マリーの教育は試練の連続だったが、やがて最初の一語を覚える。

感想

学院にやって来た時のマリーは完全に野生児である。とにかく暴れる。逃げ出して木に登る。食卓につかせるのも、風呂に入れるのも、髪を梳くのも、何もさせてもらえない。マルグリットが「マリーは試練そのもの」と表現している通り、彼女に教育を施す以前に両親以外の人間に慣れさせることが一大事であり、マリーを抑え込む寝技のスキルが上達するばかりであった。全く進捗のないマリーを責めることなく、「私が無理やり両親と引き離したのだから当然」と自身の責任を認めるマルグリットは聖人のようだった。

そんなマリーだが、突如としてマルグリットに懐く。今まで暴れて拒否していた行為を大人しく受け入れるようになる。具体的な理由となる描写はなかったので、マルグリットの献身的な姿勢と単純な時間の経過がそうさせたのだろうか。ここが一つ目の抜け落ちである。

学院に来て八ヶ月目、マリーが遂に最初の一語を覚える。彼女の「ライナスの毛布」的アイテムであるナイフを触らせながら、マルグリットが手話の「ナイフ」の動作を何度も何度も繰り返して身体に覚え込ませる。「視覚」と「聴覚」がないため「触覚」により外界を認識するしかないのだが、「文字」と「音声」が伴わずとも「動作」で言語の存在を認識できるのかと感心した。

最初の一語を覚えた後、マリーは急成長を遂げる。この感覚は自分にも分かるような気がする。学習という行為は、自分が何を学んでいるのか──そもそも何をしているのかすら分からない状態からスタートするが、最初の取っ掛かりを掴んだ瞬間に知らなかった世界の扉が開かれる。自分が触っているものを動作で表現できると理解したマリーが次の、そしてまた次の単語を求める姿からは、学習という行為の喜びが存分に伝わってきた。

机に食材を並べて次々と覚えていくマリー。ここまではマリーの頭の中で何が起きているのかイメージしやすい。しかし、次のステップで二つ目の抜け落ちが出てくる。マリーは動詞や形容詞、そして抽象的な概念を表す言葉をも「奇跡のように」学んでいくのだが、ここの描写が省かれている。奇跡で言語は習得できない。一体どうやって学んだのだろう。

二つの重要な過程が省略されてはいるものの、マリーは言語──意思疎通の手段を得たことで、他者への思いやりの心を手に入れる。自分の気持ちを伝え、相手の気持ちを聞く。言語という道具が人間にとってどれほど重要な存在なのか身に染みる。両親との穏やかな再会の瞬間は感動的だった。

そして、最後に学ぶのは「死の概念」である。別のシスターの死に際してマルグリットが概念そのものを教えるが、「理解する」ことと「受け入れる」ことが異なることを、マルグリットよりもマリーが先に理解していていたのが印象的だった。

奇跡のひと マリーとマルグリット(字幕版)

奇跡のひと マリーとマルグリット(字幕版)

  • 発売日: 2015/11/18
  • メディア: Prime Video