オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『白夜』

Le notti bianche(White Nights), 101min

監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:マルチェロ・マストロヤンニマリア・シェル

★★★

概要

恋人を待つ女を口説く男の話。

短評

何度も映画化されているらしいドストエフスキーの短編小説の1957年のヴィスコンティ版。ドストエフスキー原作にしては主人公の妄執というか面倒臭さが物足りないものの、失恋譚のはすが不思議と後味の良い物語なのが気に入った。「君のお陰で僕も幸せだった」のなら、それでよいのだと。タイトルに冠した「白夜」という現象がイタリアに存在しないため普通に「夜」なのだが、代わりに雪が降って「白夜」となる情景が幻想的だった。

あらすじ

とあるイタリアの港町に転勤してきたマリオ(マルチェロ・マストロヤンニ)。彼が夜の町を徘徊していると、橋の上で泣いている女を見つける。マリオは咳払いから話し掛けようとして逃げられるも、彼女をナンパする不良を追い払って再度ナンパする。無理やり家に送り届けて翌日も会う約束を取り付け、ナタリア(マリア・シェル)から「一年後に戻ってくる」と言い残して去った恋人を待っていると聞かされる。

感想

マリオは男前だし、他の女からもモテていたので(ショーウインドウの「Ciao!」をされてみたい)、いわゆる“ドストエフスキー的”な孤独な青年という印象は受けない。出会った女性をナンパするのが義務と考えているようなイタリア男である。言葉巧みに、そしてかなり強引にナタリアを口説き落とそうとする。とてもじゃないが「女性に対して臆病なのが長所」というタイプではない。「ナタリア以外にも相手が見つかるのでは?」というミスキャスト感が強い。

一方で、冒頭の深夜徘徊のシーンには「野良犬にすらシカトされる」という悲しい描写が含まれており、イタリア基準では彼も孤独な青年であるが故にナタリアに惹かれたのかもしれない。最後はナタリアの恋人が約束の橋に現れて失恋するのだが、そこから去りゆくマリオの足元にはじゃれついてくる野良犬の姿がある。ナタリアを送り出したマリオの人間的成長を、まるで犬が認めてくれたかのようではないか。やはり人間を理解し、寄り添ってくれるのは犬なのである。

言ってしまえば、マリオが勝手に期待して勝手に裏切られているだけの悲劇とも呼べないような悲劇なのだが、夢見がちでしかなかったはずのナタリアの愛は成就し、マリオもまた「短い間でも幸せだった」と回顧している。失恋直後にそう思える人は少ないだろうが、そう思ったからこそ彼はナタリアを送り出したのではないか。振り回された挙げ句に悲しい思いをすることまで含めて人の営みとしての美しさがあるのだろう。「自分も一歩踏み出してみよう」とは思わないが(そんなことよりソーシャル・ディスタンスだ)。

本作では比較的明るめの描写に終始しているものの、「一年後に戻ってくる男なんているわけないだろ」という文句などを長々と理屈っぽく書き連ねれば、とっても“ドストエフスキー的”になりそうな題材ではあった。彼の内面で繰り広げられる(妄想を含む)ナタリアへの想いや期待を文章にすれば、ドン引きするレベルの厄介感が極まっているはずである(霧や雪の幻想性など吹き飛ぶだろう)。ナタリアの祖母は孫のスカートをピン留めして縛り付けるという面倒な人物であり、ナタリア自身も下宿人への想いに取り憑かれて正気を失っているかのような気味悪さがある。マリオはナタリアに、ナタリアは下宿人に、どん底の中の一筋の光を感じているような危うさがあった。

マリオが路上で購入していた傘の柄のような形の食べ物は何だろうか(チュロス?飴?)。道行く子供に「一口食べる?」みたいなアクションを入れるのが陽気なイタリア男的なのだが、ここでもしっかりとシカトされていた。

夜雨に打たれて風邪を引いたマリオが足湯で足を温めている。効果があるのだろうか。

ダンスバトルのシーンがある。ブレイクダンスなどのストリート文化の一つなのかと思っていたが、ヨーロッパの貴族たちも舞踏会でダンスのスキルを争っていたのだろうか。

白夜(1957) (字幕版)

白夜(1957) (字幕版)

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