オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『天使の入り江』

La baie des anges(Bay of Angels), 84min

監督:ジャック・ドゥミ 出演:ジャンヌ・モロー、クロード・マン

★★★

概要

ギャンブル依存症の女。

短評

失礼ながらジャック・ドゥミはてっきりミュージカル映画専門の監督なのかと思っていたが、どうやらそれだけではなかったようである(音楽は他作品と同じくミシェル・ルグラン)。重度のギャンブル中毒女と彼女に惹かれてしまう男。大儲けとスッカラカン──有頂天とどん底を繰り返す彼らの姿に「これは破滅的な結末しかありえないだろう」と思っていたのだが、意外にも愛の物語に帰着した(三十郎氏は映画の後に破滅が待っていると信じて疑わない)。ギャンブルにのめり込み、悪い女に恋してしまう主人公の姿には説得力があった。

あらすじ

パリの銀行員のジャン。カジノで大勝して車を買ったという同僚キャロンに強く誘われ、「麻薬みたいで怖い」と恐れていたギャンブルに初挑戦。一時間半で半年分の給料を稼ぎ出し、「今までの勤勉で消極的な自分とはおさらばだ」と南仏ニースのカジノへ行く。そこで彼はパリのカジノでイカサマして出禁を食らっていた女ジャクリーヌ(ジャンヌ・モロー)と出会い、二人で大勝したことから行動を共にするようになる。

感想

まず入り口である。「賭け事は怖い。やらない方がよい」と皆理解はしているが、いざ同僚が彼らの給料では買えない車を乗り回す姿を見れば、「自分も……」と思わずにはいられない。三十郎氏も学生時代にパチンコや競馬で勝った友人に飯を奢ってもらった時に似たような気持ちになった記憶がある。ここで重要なのは、彼らは“勝って気分の良い時の話しかしない”という点である。勝利の快感は敗北の苦味を打ち消す。

ギャンブルで勝利を収めた先に待っているのは、ジャンが「映画の中だけだと思っていた」と形容する別世界。美女を伴い高級レストランでオーケストラ演奏を聞きながら食事をし、一流ホテルに宿泊する。最初は勝っている時に早めに切り上げていたジャンが、ギャンブルの魔力に取り憑かれて「勝てる気がする」と引き際を見失うのは、豪奢な生活を手放したくないことと“もっと”を求める気持ちのせいだろう。彼への感情移入は非常に容易だった。

対するジャクリーヌ。手のつけようがないギャンブル依存症である。賭け事が理由で離婚し、子供を失っているのに、それでもギャンブルが止められない。彼女もジャンと同じようにギャンブルにハマっていったのだろうか。その理由までは分からなかったが、「数字が神の思し召しだとするとギャンブルは宗教と同じ」と発言する彼女は、まるでカルト宗教から抜けられない人のようであった。ここまで来ると、彼女という人間の根っこにギャンブルが鎮座している。世界の捉え方そのものが、賭けない人間のそれとは根本的に違う。

本作はギャンブル映画でありながら恋愛映画でもある。ジャクリーヌにとってのジャンは「幸運を運んでくる男」に過ぎなかったが、行動を共にし、身体を重ねたジャンは彼女を本気で愛するようになる。それが決定的となるのは、一文無しになりかけた時にジャクリーヌがナンパされているのを見たジャンが、“ギャンブルを続けるために誰とでも寝る尻軽女”と理解したにも関わらず、突き放すことなく逆に「自分も勝って彼女の気持ちを取り戻さねば」となけなしの金をチップに換金した瞬間だと思う。ギャンブルのように怖い悪女である。

勝っている時や華やかな生活のBGMとして何度も使用されるピアノの曲。少々やり過ぎなくらいにきらびやかなこのメロディーが、最後だけは“勝ってない”し、“華やかでもない”場面で使用される。父からパリへの切符代を送金してもらったジャンが、ホテルから消えたジャクリーヌをカジノに探しに行く場面である。それはハッピーエンドへの伏線だったのかもしれないが、三十郎氏にはどうしてもジャクリーヌの心変わりが信じられない。ジャンが改心したことですら信じられないのに。更生したジャクリーヌはもはやジャクリーヌではないので、どう転ぼうとも二人は幸せになれないではないか。否、二人は幸せだったのだ。勝っている間だけは。

「これが来そうだな」と思っても賭けなかった時に限ってそれが来るのがギャンブルあるあるだと思った。ギャンブル依存症の人は勝った時に車や宝石の換金可能な資産を購入すればそのままスッてしまうよりマシなのではないかと思ったが、どうせ売ってしまうのなら手数料分損するだけか。

天使の入江 (字幕版)

天使の入江 (字幕版)

  • 発売日: 2018/04/09
  • メディア: Prime Video