オーガナザイズド

三十郎氏は映画とカメラと旅について語りたい。なお、実態はほぼ映画である。

『フェリーニのアマルコルド』

Amarcord(I Remember), 125min

監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:ブルーノ・ザニン、マガリ・ノエル

他:アカデミー賞外国語映画賞

★★

概要

イタリアのとある町の一年。

短評

フェリーニの半自伝的な内容とのことらしい。いくつかの印象的なエピソードやショットはあるものの、物語性のほぼ映画を楽しめる程にはフェリーニ本人に興味を持っていないというか彼の作品を観ていないというのが正直なところである(と言っても代表作は一応観ているので言い訳にならないか)。それでも最近観た他作品との共通点らしきものがあることは分かるので、本作を観た後に代表作を再鑑賞してみれば、この原風景との繋がりが何か見えてくるのかもしれない。観ている間はやはり展開のなさが気になって楽しめないのだが、最後にまた春が訪れたことが分かる時にはしみじみとした気分になり、思い返すと「なんか良い映画だったのかもしれん」という気にはなる。

あらすじ

綿毛が舞えば冬の終わり。人々は爆竹を鳴らし、巨大焚き火で魔女を燃やして、春の到来を祝う。学校の授業や悪戯、憧れの女性、ファシスト党のパレード、巨大客船レックス号、大雪等を経て、季節が一巡し、また春がやって来る。

感想

フェリーニの作品には「巨乳巨尻の女性」が登場するのが特徴らしいのだが、本作に登場するチッタの憧れの女性グラディスカ(自称30才だがどう見ても老けている。女優の実年齢は40超え。彼女の誘惑ダンスは一見の価値あり)やタバコ屋の女(これは豊満の範疇を超えて巨大)、先生、聖アントニウスの日の自転車に跨る女たちは、皆一様に豊満である。少年から大人まで男たちは皆女の尻ばかりを執拗に追いかけている。これらの女性に囲まれて育ったことで彼の性癖が育まれたのだろうか。タバコ屋の女に「吹くんじゃなくて吸うのよ、バカ」と叱られた衝撃体験が彼の人生に決定的な一打を与えたのだろうか。淫乱女のヴェルピーナはどのような影響を与えたのだろう。三十郎氏はデブのチッチオが憧れる学校の美少女アルディーナちゃんの方がよかった。

本作を半自伝と考えた場合、驚くほどに“包み隠さない”エピソードが他にも存在する。町全体でファシスト党を熱狂的に歓迎していた過去を、戦後世界で肯定的に(少なくとも大した反省を交えることなく)描くのはかなり珍しいように思う。

町中を失踪するバイクや街路で開催された1000マイル・レースの記憶は、『世にも怪奇な物語』の爆走シーンに繋がっているのだろうか。

演出、ショット、エピソードに関して気に入ったものがそれぞれ一つずつ。面白かった演出は、ガレージの車の中で少年たちが集団自慰行為をする際に、揺れる車体に合わせてヘッドライトが点滅するもの。正に自家発電である。見事な計算に唸るショットは、レックス号の出航を見送るためビーチに行く時に、カメラが横に移動しながら歩行者、自転車、馬車、自動車と速度の異なる複数の被写体を捉えていく画面内の動き。好きなエピソードは、チッタの叔父が木に登って「女が欲しい!」と叫ぶもの。この三つとおっぱいを吹くシーンが三十郎氏にとっての『アマルコルド』として記憶されると思う。宙を舞う綿毛、雪と共に降り立つクジャク、前が見えない程の深い霧といった幻想的で美しい映像を忘れさせてしまうくらいのインパクトがある。

アニメ版『夜は短し歩けよ乙女』のゲリラ演劇「偏屈王」と同じメロディの音楽が使われていた(担当はニーノ・ロータ)。「一作品の間に四季が一巡する」という点が同作と共通しているので、これはオマージュだったりするのだろうか。森見ファンとしては凄い発見をしたような気分なのだが、公式他で言及された既知の情報だったりするのか。